目次

■『ドルアーガの塔』関連記事

【1】ドルアーガの塔とのすれ違い
【2】FC版『ドルアーガの塔』との出会い
【3】ギルとカイへの過剰な愛情
【4】『カイの冒険』の戸惑い
【5】女神の優しさと意地悪
【6】The Far Away of GOLD KNIGHT
【7】「移植」の歴史とPCエンジン版の衝撃
【番外】ついに発表!アニメ+MMORPG「ドルアーガ・プロジェクト」
【8】『ザ ブルークリスタルロッド』が目指したもの
【9】TODを褒めよう――その前に『ゼビウス』を褒めよう!
【10】TODを褒めよう――その前に遠藤雅伸を褒めよう!
【11】TODを褒めよう――『ゼビウス』に続くもの
【12】TODを褒めよう――“ファンタジー”との遭遇
【13】TODを褒めよう――アクションゲームとしての評価
【14】TODを褒めよう――RPGとしての評価
【15】TODを褒めよう――ゲーム・ミュージックの効能
【番外】49th Episode――アニメ版『ドルアーガの塔』完結 new!

■ゲームミュージック関連記事

【1】ゲームミュージックはナムコから始まった
【2】生録の妙味
【3】1986年のゲームミュージック
【4】GMOレーベルの隆盛の中で
【5】コンピュージックの戦略
【6】サイトロンレーベルの勃興とGMOレーベルの終焉
【7】キングレコードの進出とコナミの選択
【8】三つ巴のナムコ争奪戦
【9】理想郷への脱出
【10】誰が為にゲームミュージックはアレンジされる
【11】1987年、萌芽。
【12】両雄割拠――ZUNTATAとS.S.T.BAND
【13】G.S.M.1500シリーズという「新兵器」
【14】日本ファルコムの閃光
【15】80年代から90年代へ―― ZUNTATA・S.S.T.包囲網
【16】1990――新時代の種はすでに蒔かれていた
【17】GMF'90という名の“革命”前夜
【18】真夏の一夜の夢
【19】我思う、故にアレンジあり
【20】歌姫は静かに降臨する

■その他記事

最後のインベーダー世代?

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【番外】49th Episode――アニメ版『ドルアーガの塔』完結

※注:この記事はアニメ「ドルアーガの塔 ~the Aegis of URUK」および「ドルアーガの塔 ~the Sword of URUK」のネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。

 先頃、アニメ「ドルアーガの塔 ~the Sword of URUK」が最終回を迎えた。
 昨年放映された「ドルアーガの塔 ~the Aegis of URUK」から続くアニメ版『ドルアーガの塔』が、ここに完結したわけだ。

 2006年3月22日、アニメ化の第一報が入った。3年も前の話だ。
 最初はもう、耳を疑うしかなかった。そもそもが『ザ ブルークリスタルロッド』で話は完結しているのに、どこをどのようにアニメ化するのか? また、それを今の世に出して、果たして受け入れられるのだろうか?
 あるいは、自分の大切な思い出が壊されてしまうのだろうか!?

 それからというもの、元々のゲームシリーズのファンとしては、正直気が気ではなかった。
 少しずつ明かされていく情報によると、アニメは主人公ジルとヒロインのカーヤが“塔頂者”として、仲間達とドルアーガの塔を登っていく、というもの。実際このブログの記事でも書いたが(【番外】ついに発表!アニメ+MMORPG「ドルアーガ・プロジェクト」参照)、当初発表された話では「ギルが隠遁する」などさんざんな内容であった。

 やがて輪郭が少しずつ明らかになっていく。
 この中で、ギルが80歳という老いたウルク王として登場すると聞き、いろいろな意味で複雑な気分ではあった。時の流れは当然だし、年を取っても王として健在であるのは、それはそれでうれしくもあった(今にして思えば、それすらじつは後々の伏線だったのだが…)。
 放送直前には「カーヤはカイの血筋を受け継いでいる巫女」なんて設定まで加わり、気分の複雑さは膨らむ一方であった。

 2008年4月、満を持してアニメ「ドルアーガの塔 ~the Aegis of URUK」が放映開始。

 …まあ正直なところ、見たら見たで、ますます気分は複雑化する一方だった。

 やたらと本筋に関係のないギャグが多く、ローパー踊りのあたりはかなり冷めつつあったのも事実。「ドルアーガの塔」という触れ込みなのに、ここまで『ドルアーガの塔』がおもちゃにされていいのか? とも思った(そんな中、ギャグ回の最後にカイが若々しい姿で復活したのには、かなりビビらされたけど)。

 そして塔を登り詰め、ドルアーガを倒したのに、最終的にZAPされて終了。第二期が2009年1月スタート、という驚愕の発表とともに、ひとまずアニメ版「ドルアーガの塔」に幕は下りた。

 この頃はハッキリ言うと、「ドルアーガのアニメじゃなかったら、途中で見なくなってたな」というのが率直な感想。しかも最後は結局物語は終わらず、結末は半年後に持ち越しとなるというのも、ある意味絶望的だった。
 よく言えば、バビロニアン・キャッスル・サーガ(BCS)という既成概念にとらわれない作品であった。悪く言えば、なんでこれがBCS(それも当時は「正統なBCSの後継作品」という触れ込みであった)なんだろう、という思いもあった。

 とはいえ、脚本の賀東招二が第一期が終わった際、原作となるバビロニアン・キャッスル・サーガのファンであるがゆえ、アニメ脚本に苦しんだ心情を吐露していたことが、遠藤雅伸のブログで明かされていた。
  【参考】http://ameblo.jp/evezoo/entry-10108957493.html
 それを考えると、第一期は迷いながら進んできた作品だったのかも知れない。

 そして今年1月からの第二期「the Sword of URUK」

 第一期の頃にあった不安要素が、まるで払拭されていた。あくまで個人的な感想だが、展開に格段に安定感があり、内容が締まっていた気がする。

 先を行く者は塔の頂に何があるかを知り、追う者はひたすらその痕跡を辿る。第一期のような、先に何があるのか何も知らずにひたすら進む、その不安感はない。

 たとえギャグをやるにしても、その内容の濃密さは第一期の比ではない。また、名エピソードとして評判の第七話「常春の館」は、第一期への回帰と決別を司るエピソードでもあり、これを境に物語は物語はクライマックスへ軸がブレずに突き進む。

 そう、第二期は「軸がブレていない」。もはや到達する点が最初から見えていて、そこに向かって全てが計算ずくで繰り広げられる、そんな安定感があったと言える。

 真の敵は「ギルの影」。
 カイと同じく、かつての若き英雄の姿で塔の頂にいる彼は、地上でウルクを治めるギルの本体と同化し、やがてその本領を発揮する…。果たして、誰がギルの影を止めるのか? その時、ギルはどうなる? そして…

 約3ヶ月の放映期間はあっという間に過ぎゆき、かくしてアニメ版『ドルアーガの塔』は完結した。

 個人的には、『ザ ブルークリスタルロッド』で語られた48の結末に並ぶ、49番目のエピソードと呼んでもいいと思う。
 アニメにはアニメの主人公やヒロイン、名脇役の数々がいる。その彼らが主軸となり、物語を紡いでいくのは当然の話だ。
 その中に、“本来の”主人公であったギルやカイを出したのである。これは諸刃の刃どころではない。使いかたを間違えば、どちらかが確実に存在感を消されてしまう。

 だが、このアニメではギルとカイにはギルとカイの、ジルやカーヤたちにはジルやカーヤたちの、それぞれの考え方と主張を際立たせることが出来たと思う。だからこそ、「ギルの影」が新たなる英雄達に倒され、ギルとカイはようやく神として天に迎えられるという結末は、49番目のエピソードに値するものだと個人的に思った。

 もしかしたら、賀東さんが吹っ切れたのかもしれない。
 「正統後継な続編じゃなくてもいい」と思ったからこそ、ようやく自分の思いどおりに物語の道筋を付けられたのかもしれない。
 結果として、第二期は細部に消化不良な点は残ったものの、グイグイと引っ張る迷いのないエネルギーに満ちあふれており、迷い無く終わることが出来たと思う。

 なんでも今回の放映に間に合わない部分もあり、どうやらDVDでは書き足される部分も出てきそうなので、それが世に出た時が本当の意味での完結、なのかな。
 とくに「ギルの影」に深手を負わせたウラーゴンが、最終話まるまる登場しなかったというのが個人的にショックだったけど、そこはDVDで何か書き足されるかもしれない…とのこと。GyaOジョッキーでファンによるチャットと同時進行で最終話を見たけど、やはり「ウラーゴンは?」という意見も多かったし。

 『ドルアーガの塔』というゲームをもって、バビロニアン・キャッスル・サーガが世に出てから、25年。

 『ザ ブルークリスタルロッド』をもって、バビロニアン・キャッスル・サーガ正史が完結してから、15年。

 そして今年、ここにバビロニアン・キャッスル・サーガに、また新たな1ページが加えられた。

 案外15年ぐらいしたら、新しいサーガが、新しいBCSの世界が、また生まれるのかも知れないね。

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【15】TODを褒めよう――ゲーム・ミュージックの効能

 このゲームを支えた大きな魅力のひとつに、「音楽」が挙げられる。
 もとより、当時のナムコのゲームは、他社のゲームよりも「いい音」を出していた。1980年の『ラリーX』で世界初の“ゲームミュージック”を生みだし、また細野晴臣監修による世界初のゲームミュージック・アルバム『ビデオ・ゲーム・ミュージック』も、ナムコのゲームが題材となっている。それくらい、当時のナムコのゲーム音楽は優れており、一目を置かれる存在であった。

 当時のアーケードゲームにおいて、多く使われていたのは「PSG」と呼ばれる音源。これは基本的に3和音+ノイズという構成で、俗に言う「ピコピコサウンド」のイメージが強い(現在のチップチューンも、和音数はともあれ音色はPSGを意識したものが中心となっている)。
 しかし、ナムコはPSGとは異なる音源(カスタム音源と呼ばれることが多い)を用いており、これは最大8和音が出力できるというものであった。この性能を利したハーモニーは、当時のアーケードゲームにおいて際だった美しさを誇っており、それがナムコの作曲者陣の才能と相まって、レコード化に至るほどのクオリティを築き上げたわけだ。

 とはいえ、じつはナムコゲームのうちゲーム中にBGMを採用した作品は、それほど多くない。
 『ドルアーガの塔』の前年、1983年までのナムコゲームを分類してみると、以下のようになる。

●BGMあり
『ニューラリーX』『ディグダグ』『ゼビウス』『マッピー』『リブルラブル』
●BGMなし
『ワープ&ワープ』『ギャラガ』『ボスコニアン』『フォゾン』『ポールポジション』『スーパーパックマン』『パック&パル』『ポールポジションII』

 …分類が難しいものもあるが(『フォゾン』をBGMと呼ぶべきかどうか、etc.)、ファンファーレやゲームオーバー時の曲などをBGMに含まないと定義した場合、おおよそこのように分類されるだろう。
 こうして見ると、BGMのある作品が意外に少ないことがわかる。当時ゲーム・ミュージックとは、まだまだ珍しい存在だったのだ(ちなみに1983年当時の他社作品では、タイトー『エレベーターアクション』、アイレム『ジッピーレース』、コナミ『ジャイラス』などがBGMのある代表的ゲームと言えるだろう)。

 また、当時のBGMがついた作品群にしても、その曲数は決して多いものではなかった。上記分類中、『ゼビウス』はBGMが1種類しかなく、それ以外の4タイトルでもBGMは2種類まで(ちなみに『ドルアーガの塔』の直前にリリースされた『ギャプラス』では、特定の面のみBGMが付くため、「無音」と合わせると2種類と言えなくもない)。
 ただし、これは容量の都合や、それほど多くのBGMを必要としなかったという当時のゲーム内容もあわせて考えると、そう不思議な話ではない。なにせ、当時はBGMが付くことすら珍しいことであったのだから。

 そして、この『ドルアーガの塔』のBGM。
 フロアスタートの勇壮な序曲が流れたのち、力強いメインテーマが流れる。この時点で、ナムコゲームとしては『リブルラブル』に続く、常にBGMが鳴り続けるゲームとプレイヤーは認識するわけだ。
 ところが、階を進めて15階に入り、突如としてBGMが変化。迫力ある重低音のおどろおどろしい曲が、焦燥感を駆り立てる。果たして、その元凶たるクオックスの姿が見え、暴力的に吐き散らす紅蓮の炎に驚きと恐怖を覚える――初めて15階に来たプレイヤーなら、誰しもが同じような感覚を味わったことだろう。こうした演出に、BGMは大きく影響を及ぼしていることは間違いない。
 以後しばらく、通常のBGMとクオックス(他ドラゴン系)登場階のBGMの2種類で、ゲームは進行。これにより、BGMによってその階にドラゴン系モンスターがいるかいないか、という判断が付けられるようになっている。これもまたBGMの活用法としては前例のないものであろう。

 ところが、ゲームも大詰めの57階になって、さらに新しいBGMが流れる。それまでの勇ましいテーマ、不気味なドラゴン系のBGMとは異なる、美しい響き。そしてフロアには謎の物体(石)があり、それは鍵を取る前に扉を通過することで、見慣れぬ姿へと変貌する。カイと同じようなティアラをかぶり、ブルー・クリスタル・ロッドとおぼしき杖を持って、座っている謎の人影。綺麗なBGMと相まって、神々しい印象さえ持ってしまうところだが…これもまたBGMの成せる演出、と言えよう。
 迎えた59階では、またも新しいBGMが奏でられる。ドラゴン系の時以上に威圧的で恐ろしい響きは、最終決戦を彩るにふさわしい雰囲気を醸し出してくれる。そして60階で再び57階と同じBGMが流れ、そして…

 と、このように『ドルアーガの塔』では、ゲーム中のBGMが4種類もあり(しかもうち1曲は事実上“世界初のラストボス専用BGM”と言えるかもしれない)、さらにBGMを演出の一環として効果的に活用している。まだゲーム中のBGMが珍しかったこの時代に、ここまで先駆的な試みを行っていたことには、驚くより他はない。
 ナムコからは同年さらに『ドラゴンバスター』や『パックランド』が発売され、BGMの質と機能はますます洗練されていく。また他社もBGMに注目を始め、翌85年にはFM音源搭載のゲーム基板も登場。さらに家庭用ゲーム機・ファミリーコンピュータでは、1985年に『スーパーマリオブラザーズ』が大ヒットを記録し、そのBGMがプレイヤーの耳に深く刻み込まれることとなる。
 『ドルアーガの塔』はまさにその前夜、ゲーム・ミュージックの黎明期から大いなる発展を遂げる、重要な足がかりとなった作品と言えるだろう。

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【14】TODを褒めよう――RPGとしての評価

 このゲームは全60面(ゲーム中の表記は「FLOOR」、ファンの間では通常「階」と呼ばれる)構成である。
 今考えてみても、パズルゲームでもない限り全部で60面もあるゲームというのは、なかなかない。ましてやアーケードゲームにおいては、なおさらだ。対戦格闘ゲームに例えれば、「面」はCPUと戦う回数(人数)ということになる。60人も倒さなければならない格ゲーというのも、考えただけでどっと疲れが出るところだろう。
 しかし、『ドルアーガの塔』においてこの全60面というのは、じつはかなり理想的なボリュームなのだ。

 そもそも『ドルアーガの塔』が全60面という構成になったのは、遠藤雅伸本人が語ったところによると「当時、日本で一番高いビルが東京・池袋のサンシャイン60だったから」という理由から。話だけ聞くと、じつに他愛のない理由で決めたように思える。しかし、結果的にゲームとして冗長となるでもなく破綻するわけでもなかったことを考えると、これだけの理由で全60階にしたとは思えない。
 その答えのひとつが、このゲームが持つ“RPG的要素”にあると言えるだろう。
 ここでいう(そして俗に言わていれる)RPG的要素というのは、取りも直さず『ウルティマ』風であり『ウィザードリィ』風であり『ダンジョンズ&ドラゴンズ』風である、ということ。ただ、これは「中世風の世界で剣士が戦う」という狭い意味ではない。戦いの中でギルが数々のアイテムを発見し、それらを身につけることで「徐々に成長していく」点を指している。

 最初のうちは、壁を壊せるようになったり足が速くなったりと、あまり戦闘とは関係のない要素でギルの性能が向上していく。また、序盤で手に入る剣や盾、鎧などは直接ギルの強さには影響を及ぼさないものの、徐々にギル自身の姿が変化していき、視覚的にゲーム開始直後のギルとは何かが違っていることがわかる。
 やがて中盤にさしかかると、様々な装備を身につけることでギルは強くなっていく。それを実感できるのは、ある程度塔を登ったときにブルーナイトやドルイドゴーストといった、初期に遭遇するHPをある程度有した敵と戦うときだろう。具体的には、18階でドラゴンスレイヤーを手に入れる前と手に入れたあとでは、ドルイドゴーストを倒すのに要する交差の数が明らかに異なる。ここで、この剣を取ったことで、ギルが強くなったことが実感できるわけだ。
 さらには今まで悩まされていたファイアー・エレメントやウィル・オー・ウィスプが無効化されたり、クォックスなどのドラゴン系を足止めできたりと、しだいにギルの前に立ちはだかる障害は減っていく。やがてはドルアーガ討伐に必要なアイテムや、ギルの力を最強にするアイテムなどが手に入り、序盤の頃とは比較にならないほどの力を備えた戦士に成長を遂げる。

 こうした60にもおよぶ階層の中において、それぞれの階でアイテムが出現し、ギルを成長させていく(もちろん、中には成長と呼べないようなアイテムやマイナス効果のあるアイテムもあるし、アイテムそのものが存在しない階すらあるが)。
 極論すれば、これは“レベルが60まで上げられるRPGをプレイしているのと同じ事ではないだろうか?
 階を上がるごとにギルは成長し、やがて58階ぶんもの成長を積み重ねた状態でドルアーガと相対する。それまで積み重ねてきた経験と技術、そして成長したその身を以て、魔王を討伐し、愛しき人のもとにたどり着く。これこそ、まさしくRPG的展開と言えるだろう。

 また、当時のアーケードゲームとして一番風変わりな点が、「得点が重要視されていない」ことだ。
 これも当時の遠藤雅伸の回想なのだが、「得点に意味はない」と明言しており、「ゲームは得点を競うものだ!」と豪語するお偉いさん(当時の社長・中村雅哉氏ではないとのこと)を納得させるために、変わった得点システムを導入している。
 具体的には、途中でゲームオーバーになったのちコンティニュープレイをすると、その階数に応じてボーナスポイントが入るというもの。つまり、1コインクリアよりもコンティニューをしてクリアした方が高い得点が入るという、いわゆるハイスコアラーにとっては至極稼ぎがいのないゲームというわけだ。
 また、このコンティニューにおけるボーナスの存在意義を聞かれると、「逆説的に、このゲームでは点数より大事なものがあるという主張」とも答えている。それはすなわち「ゲームをクリアすること」なのだろう。当時のアーケードゲームは、そのほとんどで特定の面が果てしなく繰り返され、バグなどでゲームがストップしないかぎり無限に遊ぶことも不可能ではなかった(遠藤雅伸の前作『ゼビウス』もその例に漏れなかった)。60階をクリアするとエンディング画面が流れ、ゲームが強制的に終わるよう作られたのも、この『ドルアーガの塔』が嚆矢と言える。
 ゲームの目的が得点を競うことではなく、エンディングを見ることにある点は、言い換えれば「ゲームの主人公・ギルとして、塔を登りドルアーガを倒し、カイを救い出す」ことそのものがゲームのシステムであり面白さ、ということになる。プレイヤーはギルとなり、様々な困難を乗りこえて、エンディングを目指す…これもまた、「役割を演ずるゲーム」というRPGの定義からは些かも外れることがない、と言えよう。「ギルとなること」が、このゲームをクリアするための第一条件と言っても、過言ではないだろう。

 今でこそRPGというジャンルはコンピュータゲームの一大ジャンルとなり、今でも『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』と言った作品は、ビッグタイトルとして揺るぎない。
 しかし、世の中にそんなジャンルがあるとほとんど知られていない1984年に、まさしくRPG的なアプローチでアクションゲームを、しかもアーケードゲームとして発表したのは、異端中の異端だったと言えよう。
 それがどれほどの衝撃をもって迎えられたのか。それはこの作品でギルとなり、20年以上経った今でもバビロニアン・キャッスル・サーガの虜となり続けている人々が、雄弁に語ってくれるだろう。

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