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【3】ギルとカイへの過剰な愛情

 自分が『ドルアーガの塔』というゲームに、世界設定から入ったことは前述の通り。
 そもそも多数のキャラクターを生み出していたナムコの中にあっても、このゲームの主人公・ギル(ギルガメス)と、囚われのヒロイン・カイの人気は独自のものがあった。
 ナムコを代表する世界的キャラクター・パックマンや、マッピーといったキャラクターも人気は高かったが、これはどちらかといえばマスコット的な人気。一方、ギルとカイはいわばヒロイック・ファンタジーの中心人物として、感情移入の出来る存在だったのだ(もちろん、ごく普通の人間の姿だからという理由もあるが)。
 60もの障害を乗り越えて成長するギルと、その果てに救いを待つカイ。ポスターやポップなどで見られたイラストと、ごく限られた設定資料、そして自らの思い入れから、このゲームの虜となった人々は様々に思いを膨らませた。それが同人誌などの形となって、現在もなお発露し続けていることになる。

 かくいう自分は、当時まだその辺を意識するに至ってはいなかった。
 だが、キャラクターへの思い入れを決定づける、ある「事件」があった。

 1986年、『イシターの復活』が世に出る。『ドルアーガの塔』の続編として前評判も高く、発売後は熱心にやり込む人も多かったゲームだ。
 しかし、自分はこのゲームに決定的に乗り遅れてしまった。そもそも『ドルアーガの塔』も、FC版があったからこそハマることが出来たのであって、山奥に住んでいた身としては『イシターの復活』に触れる機会そのものが、ほとんどなかったのだ。
 ましてや複雑なその内容は、たまに触れることが出来る程度の子供では、先に進むことすらままならない。
 かくして、今に至るまで『イシターの復活』というゲームには、妙な苦手意識が付いてしまっている。

 だが、それ以上に自分にとって違和感があったのは、ゲームの主人公がカイに代わり、ギルが脇役になってしまったことだった。
 ゲーム性や遠藤氏の考えからするに、それは仕方のないことではあった。しかし、60もの障害を乗り越えてきた“救いの騎士”が、あっさりと端役に追いこまれたことに憤りを感じずにはいられなかった。
 そして、雑誌の投稿コーナーには「ギルを蔑ろにするカイ」のネタが踊ることになる。もちろん、そうしたネタを投稿した人々は、当時すでに自分よりずっと大人であった。だからネタに出来たのだと思うのだが、そうでもない子供にとっては苛立ちを助長する材料にしかならなかったのだ。
 極めつけは、ゲームのキャラクターデザインを手がけた篠崎雄一郎氏が、ナムコの広報誌「NG」に、「ギルはヒモ」というネタで4コママンガを掲載したこと。これが子供心に、何か決定的なダメ押しとなってしまったようだ。

 その時、ギルとカイへの偏愛が芽生えることとなる。
 偏愛とは、言ってしまえば「普通のカップルが当たり前のように幸せになる展開しか認めない」というもの。そんな嗜好を子供の頃に持っていたのかと思うと、我ながら空恐ろしい。
 年を取った今となっては、そこまでの偏愛は持っていないが、今でもそれを引きずっている部分は、多少なりともあるのだろう。

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