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【8】『ザ ブルークリスタルロッド』が目指したもの

 1993年の事だったと思う。
 ファミ通(当時はまだ「ファミコン通信」)に、ドルアーガシリーズの新作『ザ ブルークリスタルロッド』の速報が掲載されていたという一報を、友達から聞かされた。
 当時の記事を保存しておいたわけではないので、その内容もだいぶうろ覚えのものとなってしまった。記憶に残っているのは…いわゆるサウンドノベルのようなアドベンチャーゲームであること、ゲーム中のグラフィックが篠崎雄一郎氏の原画がふんだんに使われたものであること、そして当時のトップハードで円熟期を迎えていたスーパーファミコンで発売されるということ。とはいえ、翌年にプレイステーションとセガサターンが発売されているので、当時すでにそれらの情報は出ていたような気もするが…。
 発売はその翌年(1994年)。つまり、1984年に『ドルアーガの塔』が発売された10年後の節目となるのだ。これは否が応でも期待が高まるところだろう。

 そして発売されたゲームは、賛否両論を極めた。厳密には、「否」の声の方が多かったと見ていいだろう。
 ゲーム内容は、ギルとカイがいかにしてブルークリスタルロッドを天界に返しに行くかが、さまざまなエピソードで語られるもの。その進め方により、シナリオや結末が異なってくるわけだ。
 しかし、そこで語られる内容は、いわゆるアドベンチャーゲームの感覚で見ると極めて情報量が少ない。各地の迷路などを進んでいった先に、何らかのイベントが発生し、そこでちょっとした会話を交わすと「もうここに用はないはずだ」と追い返される。そしてバビリムの街に戻り…を繰り返していくのだ。そして、そうしたやりとりを3~4回繰り返すと、もうシナリオは終わりを迎える。
 ひとつのシナリオの開始から終了まで、慣れてなければ1時間ほど。要領をつかんでしまえば、やることは基本的にどのシナリオでも変わらないので、慣れれば30分もあれば1シナリオの結末が見られることになる。

 ゲームとしての「否」の声は、この「ゲーム性の低さ」に起因するものが多いと思われる。
 当時流行のサウンドノベルに比べると、何度もプレイする必要があるという共通点があるぶん、どうしても「遊び心」という面では見劣りする。
 ただ、これは逆に「何度も遊ぶ」という点ではゲームの解法に意識を持っていく必要がなく、純粋にシナリオを楽しめるという点では、むしろ適切なのかもしれない。

 そしてそのシナリオに関しても、これまたプレイヤーを選ぶものであった。
 予備知識のないプレイヤーのために、タイトル画面で「プロローグを見る」という項目を選ぶと、それまでのストーリーが画像付きでダイジェストとして説明される。それで最低限の知識は得られるが、「知識として知っている」のと「思い入れがある」のとでは、各シナリオを見ての感想(というより感慨)も違ってくるだろう。
 このゲームには、48種類のシナリオがある。その中には、王道を行くハッピーエンドから、かなり衝撃的なものまで用意されている(後者はそのぶん、かなりひねくれた選択肢を選ばないと見られないが)。もちろん、好きなシナリオもあれば嫌いなシナリオもあるだろう。遠藤雅伸氏いわく「何も考えず自然にたどったシナリオが、その人にとってのBCSの結末と思ってほしい」とのことであった。それがゆえの、48ものシナリオなのである(ちなみにセーブは50ヵ所にも及ぶので、エンディング手前でセーブしておけば全てのエンディングをいつでも見られることになる)。

 この作品は「ゲーム」というより、「ファンソフト」と表現した方がいいかもしれない。
 プレイステーションやセガサターンが全盛期を迎え、CD-ROMによるゲーム供給が標準的なものとなってからは、いわゆる「ファンディスク」の存在も認知されていった。特定のゲームのファンに向けて作られ、貴重な資料集やミニゲームなどを収録した、まさにファンのための作品。
 そしてこの『ザ ブルークリスタルロッド』は、ゲームを簡素化してまで、ファンに向けた48ものシナリオを詰め込んだ作品と言ってもいいだろう。これこそCD-ROM時代に先駆けた、早すぎる「ファンソフト」だったのではないだろうか?
 もし仮に、このソフトのリリースがあと1~2年後ろにシフトしていたら、あるいは次世代機でのリリースになり、内容ももっと違ったものになり、もっと違った評価を受けていたのかもしれない。

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【番外】ついに発表!アニメ+MMORPG「ドルアーガ・プロジェクト」

本日の東京ゲームショウ2007(ビジネスデー)にて、かねてより話のあった『ドルアーガの塔』のTVアニメーションとPC用オンラインゲームの情報が発表された。

公式サイト
http://www.druaga-project.com/

●TVアニメーション
「ドルアーガの塔~the Aegis of URUK~」
ギルとカイの物語から80年後を舞台にしたというエピソード。
ということは、主人公はギルやカイではないのだろう。以前、遠藤雅伸氏が2chで「アニメはオリジナルストーリーになる」と言っていたので、まさにそのとおりになったわけだ。
塔の中に人間が拠点を築き、モンスターが力を失う頃合に少しずつ上を目指していく、という設定は中々おもしろそうだ。
まだ絵が一枚とストーリーしか出ていないが、2008年春の放送を待ちたいところ。

ただ、「TVアニメ」とは銘打っているものの、地上波とはまだ一言も出てないんだよなぁ…つまりはCS限定になる可能性もあるわけだし。

●オンラインRPG
「ドルアーガの塔~the Recovery of BABYLIM~」
こちらはタイトルだけは早々に公開されていた、PC用のオンラインRPG。年代としてはアニメよりも前の時代になるらしい。
上記のアニメの設定に、「塔内にある人間の拠点には、王国の部隊の他に最上階のブルークリスタルロッドを狙う冒険者達もいる」みたいなものがあったので、恐らくプレイヤーはその冒険者になるのだろう。
アニメとは違い、画面写真が一枚だけとはいえ公開されている。ただ、これを見る限りはごく普通のネトゲというか…もっとも情報が無きに等しいので、今のところは何も言えない。

なお、形式としてはゲーム本体は無料、アイテム課金があるとのこと。また2008年1月に正式サービス予定と言うことは、今後年内にクローズドβテストがあるものと考えられる。
…当初は2007年にスタート(12月という噂も耳にした)だったので、やや遅れている状況か。いずれにせよ、アニメ放送開始前には正式サービスが開始するのだろう。

ちなみに、上記の公式サイトには年表が掲載されており、そこでアニメとネトゲの周辺で起きた、いわば「BCSの続きの出来事」が掲載されている。
それを見てみると…
 「カイが病死」
 「サルゴンがクーデター蜂起(でも未遂)」
 「ギルが絶望して隠者同然に」

など、かなりショッキングな記述が並ぶ。果たして、このへんの設定がアニメやネトゲではどのように描写され、どのような結末を迎えることになるのだろうか?
とりあえずはネトゲのβテストの募集があったら、応募してみようと思う。

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【7】「移植」の歴史とPCエンジン版の衝撃

 1992年6月、PCエンジンにおいて『ドルアーガの塔』が発売された。

 ここで、昔の家庭用ゲーム機への移植について語っておきたい。
 ゲームの移植というのは、とくにファミコンにおいては取りも直さず「アーケードゲームの移植」のことであった。ファミコン初期のタイトルである『ドンキーコング』や『ポパイ』、そしてナムコ参入時のタイトルも当初ほとんどがアーケードからの移植作で占められていた。
 その後、長いファミコン時代(とファミコンへの苦難に満ちた移植時代)を経て、PCエンジンやメガドライブ、スーパーファミコンが登場。家庭用ゲーム機の表現力は一気に高まり、そこでも再び最新アーケードゲームの移植が重要なキーポイントとなっていた。

 だが、おもに移植されるのはあくまで最新の、もしくは大ヒットしたアーケードゲームである。
 表現力が高まったのであれば、昔のアーケードゲームなら完璧に移植できるハズ。しかし、それでもPCエンジンの『ドラゴンスピリット』、スーパーファミコンの『ファイナルファイト』など、多少無理をしてでも新しいゲームを移植する、という流れはファミコンの時代と変わりはなかった。
 もちろん、やがて開発技術の向上により、新しいゲームの移植でも再現度が格段に上がり、名移植も多く生まれた。しかし、「新しいアーケードゲームを移植することがユーザーの求めること」という風潮は、ずっと変わらず続いていたのだ。

 しかし、その一方でPCエンジンなどにおいても、「ちょっと昔のヒットゲーム」を移植する動きが徐々に出はじめた。
 その先鞭とも言えるのが、1989年にPCエンジンに移植された『パックランド』だろう。グラフィックはもちろん、BGMの音色がナムコの当時の音源とよく似ており、移植度は素人目に見て非常に高かった。ゲーム雑誌でも、5年前のゲームの移植という「古さ」を批判するのではなく、その再現度の高さを賞賛する評価が多く見られた。
 そうした流れは、やがて他メーカーにも波及し、のちにプレイステーションにおける「ナムコミュージアム」シリーズで開花。「最新のハードで昔のゲームを懐かしむ」という楽しみ方が、メーカーにもユーザーにも定着することになる。

 さて、その流れの真っ最中、1992年に登場したのがPCエンジン版『ドルアーガの塔』である。
 この移植はPCエンジンの円熟期に行われ、またそれまで『源平討魔伝』などの移植もあったことから、アーケード版の忠実な移植作になるものと思われた。やがて雑誌などで公開された画像では、美麗に進化したグラフィックやデモ画面でヒントをくれるイシター様(『カイの冒険』と似たような構図)などが判明し、果たしてどのようなものになるのか期待も高まった。
 …しかし、実際にプレイしてみると、迷路の構成は縦横比が同一になり、さらに宝箱の出し方やアイテムなども異なるものとなっていた。また、ギル自身のパラメータを設定できたり、IIボタンでアイテムを使用するなど、随所に新しい要素が取り入れられている。反面、期待した「アーケードの移植」はなく、良きにつけ悪しきにつけ“リメイク”という表現がもっともふさわしい作品となった。
 もちろん、90年に『ドルアーガの塔』の関連作品がリリースされること自体、すでに異例ではあったので、そこは喜びたいところ。だがしかし、あのゲームの再現を求めた人々には、逆に肩すかしを食った内容であったとも言える。

 この作品は遠藤雅伸氏の入魂作で、「本来『ドルアーガの塔』はこんなゲームにしたかった」という思想のもと作られた作品である。
 それはゲームシステムなどにとどまらず、バビロニアン・キャッスル・サーガという、この一連のシリーズにおける基本設定においても、であった。つまり、『カイの冒険』とともに重要な設定を『ドルアーガの塔』というタイトルで再定義した、という意味でもリメイク作品なのである。
 とりわけ、単なる“偽イシター”としての役割しか与えられていなかったサキュバスを、ドルアーガの暴走を止める重要なキーポイントして定義づけた点は、元々の『ドルアーガの塔』とは最も大きな相違点といえよう。この作品までで固められた設定が、次の『ザ・ブルークリスタルロッド』におけるバビロニアン・キャッスル・サーガの完結において、ギルの運命を左右する要素となったのである。

 余談だが、このPCエンジン版のパッケージに描かれたロゴは、「THE TOWER OF」の文字が中央のクオックスのシルエットよりも大きくはみ出し、さらに文字色が黄色く(フチのみ赤のまま)変化した。このロゴが、現在のバンダイナムコにおける公式なロゴとなっており、PSP版『ナムコミュージアムVOL.2』などでもそれが確認できる。

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【6】The Far Away of GOLD KNIGHT

 『ドルアーガの塔』の中でも、異端中の異端とされるのが、いわゆる“アトラクション版”。
 1990年に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」に設置された、ライド型光線銃アクションゲームの『ドルアーガの塔』だ。
 花博終了後は、東京のナムコ・ワンダーエッグに移築され、2000年12月31日の閉園まで稼働し続けていたが、現在このゲームを遊ぶことは出来ない。

 このゲームに関しては、2001年から自サイト(『ドルアーガの塔』研究室)にコラムを掲載していた。今回はそれを転載する。

―――――――――――――――
Seal_2

 

 The Far Away of GOLD KNIGHT

 ――11年目の“おめでとう”――

 
       

 

 20世紀とともにその幕を閉じた、ナムコの都市型テーマパーク『ワンダーエッグ』。
 ここに、『ギャラクシアン3』と人気を二分するといわれているアトラクション『ドルアーガの塔』があった。
 内容は、テレビゲームの『ドルアーガの塔』とはまったく異なるもので、自動的に進むゴンドラ(ライド)に乗り、“魔法の剣”と呼ばれる光線銃で塔内に巣 食うモンスターを倒して行く、という自走式光線銃ゲームのようなもの。ただ、世界設定が『ドルアーガの塔』のものを使っており、そのぶんファンには思い入 れも強まるアトラクションと言える。
 思えば、このアトラクションとも、もう11年もの付き合いになる。
 ――と書くと、不思議がる方もいるかもしれない。なにせ、ワンダーエッグは1992年2月29日のオープン。実質オープンしていたのは、8年と11カ月ほどしかない。

 だが、このアトラクションには、前歴がある。
 じつは『ドルアーガの塔』は、1990年に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会(通称・花博)」に、『ギャラクシアン3』とともにアトラクションとして設置されていた。
 そして、当時学生だった自分は、本来の目的を隠して親に「花博に行きたい」と直訴し、遠く北海道から一人旅を敢行したのだ。
 ――だが、このときの『ドルアーガの塔』の記憶は、非常に薄い。
 当時は、最先端の技術を駆使した『ギャラクシアン3』のほうに魅力を感じており、ひとりではなかなか遊びづらい『ドルアーガの塔』には、あまり目が向かなかったのである。結局のところ、1回程度しか遊んでいないのではないか……その程度の記憶しかない。もちろん、カイを救出してゴールドナイトなど、夢のまた夢だった。

 そして時計が1992年を過ぎる頃。
 ナムコの都市型テーマパークは想像以上の盛況を見せ、とりわけ当時のマニアにとって伝説的な存在であった『ギャラクシアン3』と『ドルアーガの塔』が遊べるという点から、数多くのマニア連中も全国から呼び寄せることとなった。
 当時、ちょうど上京した時期と重なる自分自身も、通いつめるというほどではないが友達と何度か遊びに行った。
 何度か、と但し書きを付けたのは、熱狂的なマニアのクセに本当に数えるほどしか遊びに行ったことがなかったからだ。
 というのも、もともとワンダーエッグには、開園当初“50カ月の限定開園”という時限装置がついていた。4年ちょっとだが、それでも時間に限りはある ――そう考え、通いつめたリピーターも多かったのだろう。ドラマの舞台になるなど、大成功を遂げたテーマパークからは、いつのまにか時間制限が消えていた のだ。
 だが、閉園が速まるのならまだしも、「終わることがない」ということであれば、嘆く理由はどこにもない。「いつでも遊べる」――そんな安心感が生まれた からか、都心に程近い位置にありながらもワンダーエッグに率先して行く気はなくなってしまった。だって、いつ行ってもワンダーエッグはそこにいてくれるの だから……。

 悪い報せは突然、何の前触れもなくやってくる。
 2度目の変身を経た『ワンダーエッグ3』には、再び開園期限がついた。
 思えば、このときにもっと真剣に受け止めるべきだったのかもしれない。「どうせ、またリミットブレイクするよ」――そう見当をつけた人々は、のちにこの時間制限が本当のものであったことを知り、後悔する。
 閉園の真相は、関係者ではないのでわからない。不況による収益不足、二子玉川の再開発にともなう整理、あるいは単に天寿を全うしただけのこと……さまざまな憶測が乱れ飛んだが、どうあれワンダーエッグがこの世から消えてなくなる、という事実だけは確かだ。
 だが、そうした運命を否定しつつも、心のどこかで信じつつも、忙殺という現実の前に「ゴールドナイトになろう」という考えは、なかなか沸いて出てこなかった。「閉園までに行けばいいさ」――胸中に一度巣喰った怠惰の虫は、危機感をひどく鈍磨させていた。

 2000年12月26日。
 悪い癖だ。子供の頃から、本当の瀬戸際にならないと物事をはじめようとしない。
 この日、ようやくワンダーエッグに行く決心がついた。
 渋谷から東急新玉川線に乗り、揺られること数分。車窓から東急二子玉川駅の遠景が見えた途端、胸の高鳴りが加速した。
 ここに来るのも、もう何年ぶりだろうか。少なくとも、前に来たときは二子玉川「園」駅だったし、ワンダーエッグも「2」だったはずだ。
 過去の記憶をたぐり寄せても、5年は遡らなければならない。しかも、その時『ドルアーガの塔』をプレイした明確な記憶もないため、実質的な間隔は不明だ。
 しかし、それでも『ドルアーガの塔』は、以前と変わらぬ顔で待ちかまえていた。
 『ミラーナの心理迷宮』も『バーチャルビークル』も、すでにない。時代の嗜好とテクノロジーに合わせて進化をつづけてきたワンダーエッグにおいて、数少ない「変わらざるもの」のひとつが『ドルアーガの塔』なのだ。

 挑戦は幾度もつづいた。
 冒険をともにした友人も、音を上げることなくついてきてくれている。
 しかし、それでもドルアーガの守りは堅固なものだった。
 5年ものブランクなど何処吹く風で、途中までは快調に進む。アイテムを獲得し、ドラゴンを難なく退け、そしていざドルアーガとの対決へ――しかし、8本の腕に4本の足を持つ魔王は、無常にも挑戦者の希望を絶望に変えてしまう。
 もちろん、ライドが4人乗りである以上、ふたりだけで遊ばせてくれることは少なく、だいたいが見知らぬ人とトリオ(orカルテット)を結成することとなる。
 若いカップルとともに挑戦するも、敗北。
 子供たちといっしょに果敢にチャレンジしても、ダメ。
 年輩の女性ふたりは、ハナからドルアーガを倒そうという意欲すらなく、話にならない。
 幸運にも友人とふたりきりで挑戦できても、それでもドルアーガは右手に握りしめた魔法の剣をものともしない。
 もはや顔も覚えて(そして覚えられて)しまったアトラクターの方々に、毎度毎度コツを伝授してもらうのも、もはや馬鹿馬鹿しい。出口を出たら入口に直行する――そのくり返しだった。
 不安が胸中に暗雲を呼び寄せる。もしかしたら、結局『ドルアーガの塔』をクリアせぬまま、永久に別れを告げねばならないのか……そんな暗澹たる未来を予想しては、おぞましさに震える。気が滅入っていたのは、気温の低さだけが原因ではないはずだ。

 そんな無限地獄の恐怖に脅えつつ、もう何度目か数えてもいない挑戦。
 アトラクターの説明を振り切り、ライドに乗って魔法の剣を振りかざした。
 それまでとはちがい、この挑戦にはわずかな光明が感じられた。
 後列に乗っている男――やや小太りで人の良さそうな風貌、そして何より背中と手にパックマンを宿らせた、ただならぬ気合いと決意。この人と一緒ならば、あるいは……一縷の望みは、確実にターゲットを撃ち抜いていくその腕前で確信に変わりつつあった。
 曲がり角の先にいるドラゴンすら、その姿が見えたとほぼ同時に左手のターゲットは消え、早々に倒されてしまったのだ。
 そして、2枚の扉の向こうに、脅威が鎮座している。
 我々の挑戦をことごとくはねのけた、魔王・ドルアーガ――。
 その威厳に満ちた形相は、さっきまで勝利を確信していた我々に容赦なく恐怖を植え付ける。
 しかし、しかし……無情にも前進を止めないライドから、魔法の剣に“勇気”をこめ、引き金を引きまくった。
 右手ターゲット撃破、左手ターゲット撃破。ここまでは何度となく実現させてきた。
 そして、最後のまだ見ぬ世界へ向け、ドルアーガの喉元へ向け、魔法の剣を振りかざす――

 「ビッ」

 ビッ?
 消えた――消えた!
 やった!!! やったぁー!!!!!!!!

 目の前に姿を現すカイ……。ついに、1990年の夏に花博で初挑戦して以来、約11年目にして、はじめてクリアを達成することができた。
 「おめでとうございまーす!!!」
 アトラクターに祝福され、ゴールドナイトの証・シールを手渡されたときも、全身の震えは止まらなかった。歓喜の極みが、全身を沸騰させる――。
 夢心地で出口を出てから、何ら面識のないパックマンの男に、頭を下げまくった。彼は笑って必勝法を教えてくれ、そして夕闇に消えていった。

 実際、コツ――ひとつのターゲットに複数の光線を当てると、それぞれ打ち消し合ってしまうので、ひとつのターゲットはひとつの銃でのみ狙う――を聞いてからは、過去の苦悩と恐怖が嘘に思えるほど、あっけなくクリアできた。
 計3回ゴールドナイトに輝き、うち一度はほとんどひとりでドルアーガを倒せてしまった。
 わかってしまえば、なぁんだと思える、他愛もない必勝法。
 しかし、あの光景――想いを込めた魔法の剣が、はじめてドルアーガを打ち破った瞬間。
 11年の歳月をかけてたどり着いた、ゴールドナイトの座。
 そう、ゴールドナイトになったんだ。
 あの一瞬は、あの感動は、そしてゴールドナイトの誇りは……絶対に忘れない。

―――――――――――――――

 今あらためて見てみると、やたら「――」を多用した文がすごく青臭くはあるが、あえて原文にほぼ手を加えず転載した。

 余談だが、ワンダーエッグ閉園後、光線銃を初めとする什器(?)は、抽選でプレゼントしていたらしい。つまり、あの光線銃やら説明のパネルやらの現物を持ってるラッキーな方が、この世のどこかにはいるらしい。そして自分は、アンラッキーなことに抽選には外れてしまった。

 あれから6年以上経過し、当時の情景もだいぶおぼろげになってきた。
 だが、このアトラクション版『ドルアーガの塔』が、完全に影も形もなくなってしまった今。
 つたない記憶ではあるが、まだまだ“ゴールドナイトの誇り”を無くすわけには、いかないのだろう。

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【5】女神の優しさと意地悪

 【4】では『カイの冒険』の、それまでにない設定などの違いを書いた。
 では、肝心のゲームはどのようなものなのか。
 自分がこれを手にすることが出来たのは、発売から約2年後になるのだが、それでもその感覚は鮮烈であり、今までに経験したことのないものだった。

 やはりその最たる特徴は、“慣性”にあるだろう。
 普通に走るにしても、出足はやや鈍く加速度が付き、止まろうにもボタンから手を離しただけでは、すぐには止まらない。
 ジャンプもまた特殊で、Aボタンを押し続ける間はエレベーターのように等速で上昇し、Aボタンを放しても徐々に減速してから止まり、そこからまた等速でゆっくり降り続ける形だ。
 設定上にある「勇気を身軽さに変えるティアラ」とは、ここまで厄介な代物なのかと思ってしまう。そのくらい操作はデリケートで、思い切りの良さと精度の両方が要求されるのだ。

 のちに遠藤氏より語られたところによると、海外の『メジャーハボック』(1983年・アタリ)のサイドビューアクション面をもとに作られたという(エンディングにもスペシャルサンクスに「アタリ『メジャーハボック』開発チーム」と記載)。だが、さすがに当時そのゲームを知る人はかなり少なかったハズ。自分も残念ながら、実際にそのゲームを見たことすらない。
 今となっては、『ドルアーガの塔』のプレ・ストーリーとしての存在意義もさることながら、そんな個性的かつ知られざるゲームを、ファミコンという大きなステージで広めたことに歴史的な意義があったと言えるだろう。

 さて、その発売から約2年後に手に入れた『カイの冒険』。
 60階までクリアするのは、ゲーマーと呼べる人間ならさほど難しくはないと思う。実際、自分も「敵に接触してミスした場合、その敵は消える」というルールにも助けられ、何度となくエンディングは見たことがある。
 エンディングは遠藤氏曰く、「史上初のバッドエンドしかないゲーム」とのことであったが(その後ギルが助けに行く必要があるため)、重厚な音楽と合わせてこのエンディングも好きであった。FC版『ドルアーガの塔』の頃と比べ、グラフィックから“ポーズ時に流れるクレジット音”まで見違えるほど完成度が高くなっており、4年という月日がもたらした進化を実感させてくれる。

 だが、60階までならそんなことを楽しみながらプレイも出来るが、“スペシャルステージ”と銘打たれた61階以降はそうもいかない。
 エンディングを見せたあとのオマケとあってか、難易度も格段に向上し、情け容赦ない構成の面が押し寄せる。「風が吹き、空中にいる間は横方向に流される」といった60階までになかった要素もあるわ、いやらしい動きの新しい敵も多数登場するわ。まるで60階までは練習で、61階以降が本番であるかのような凄まじさだ。
 おまけに、60階までは途中でワープをすることによりルートの短縮が可能だが、スペシャルステージでは短縮どころか下の階に戻される“逆ワープ”しか存在しない。100階までの全40面を、噛みしめながら地道に登っていくしか道はない。

 60階までは頑張れば道は開けるし、ワープでショートカットも出来る。その果てにエンディングを見ることが出来る。しかし、61階以降は先程までの優しい顔はどこへやら。同じゲームでも、こんな二面性を持った作品も珍しいのではないだろうか。
 また、前2作『ドルアーガの塔』と『イシターの復活』は、宝箱の出し方やルートなど予習が必要不可欠なゲームであった。しかし、この作品は“隠し要素”的なものがほとんどなく、手の届く範囲で努力すれば先に進めるゲームであった。この敷居の低さは、特筆すべきだろう。
 今までのシリーズ作品にない優しさと、その奥にある意地悪。その絶妙なバランス、また丁寧な作りとコンセプトの明確さからも、このゲームは今もって“傑作”と、自信を持って言える。

 余談だが、ある日「電源を入れっぱなしにして全面クリアに挑戦しよう!」と思い立ったことがある。
 このゲーム、コンティニューは無限に出来るが、パスワードなどによるデータ保存はない。そのため、全面クリアを目指すのならその間ファミコンの電源を切ってはいけないわけだ。
 かくして、夜がんばる→電源を入れたままテレビだけ消して寝る→朝学校に行く→学校が終わったらがんばる→…という生活を、3日ほど続けた。
 …が、しかし、とある面でうっかり前述の“逆ワープ”を取ってしまう。
 “逆ワープ”は、宝箱を開けてから数秒後に効果が発動するので、その間にミスをするか、逆ワープ完了前にファミコン本体のリセットボタンを押せば、未然でその効果が防げる。だが、3日間もファミコンの電源を入れっぱなしにし、ひたすらコンティニューを続けていると、何故だかリセットボタンを押すことにものすごい抵抗を感じるのだ。
 効果発動前にミスしようとするも、あの特徴的なカイの動きではそれもままならず、リセットボタンを押せばいいのに、なぜか手が動かない。

 かくして、3日間の苦労も水の泡となり、無念の思いでファミコンの電源を切った。
 それ以来、全面クリアを志したことは、一度もない。

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【4】『カイの冒険』の戸惑い

 『イシターの復活』(ナムコ・1986年)で、ギルとカイは塔からの脱出に成功。これにてシリーズは完結…と思われていたが、1988年になってファミコンオリジナルのタイトルとして『カイの冒険』のリリースが発表された。
 その立ち位置は、『ドルアーガの塔』の前のエピソード。ストーリー上でしか語られていなかった、「ギルが負傷で床に伏せっている間、カイがイシターの命で単身塔に向かう」という部分を、ゲームにしたものだった。

 いざその姿が雑誌などで紹介されると、前2作とはまた異なる雰囲気に、ファンは驚かされることとなる。

■いくつもの設定が明らかに
 『ドルアーガの塔』『イシターの復活』当時は明らかになっていなかった、数々の設定がデモ画面で明かされた。
 ギルたちの出身国である「バビリムのまち」、そこを流れる川「ユーフレイト」、ギルの父親である「マーダックおう」、バビリムに攻めてきた敵国「スーマールていこく」とその長「バララントこうてい」…。これらは皆、この作品で初めて公にされた設定である。
 また、カイがイシターより賜った「勇気を身軽さに変えるティアラ」は、『ドルアーガの塔』においてギルが賜った「勇気を力に変える鎧」と好対照をなし、ゲームシステムに無理なくとけ込んでいる設定として感心させられた。

■イメージイラストが篠崎氏ではない
 前2作までを遠藤・内藤・小沢・篠崎の4氏が中心となって手がけていたため、この「チーム・ドルアーガ」とも言うべき面々が『カイの冒険』でも中核をなすもの、と当然のように思われていた。
 ところが、パッケージをはじめとする各種イラストを手がけたのは、篠崎氏ではなかった。
 スタッフロールによると、パッケージイラストを手がけたのは「チャーミー そのえ」氏。また、漫画家・イラストレーターのときた洸一氏が、パッケージイラストの“仕上げ”と取扱説明書のイラストを手がけている。ときた氏は当時『えりかとさとるの夢冒険』やPCエンジン版『ワンダーモモ』など、一連のパッケージイラストを手がけている。その流れからすると決して不自然ではないのだが、シリーズのイラストは篠崎氏…という印象があっただけに、それが覆ったことの違和感は大きかった(なお、ゲーム内で表示される画像の元イラストは、篠崎氏のものと思われる)。
 なぜかカイの瞳が赤く、また画風がアニメ調だったことも、その違和感の一因だったのかもしれない。

 ちなみに、ナムコ広報誌・NGでソフト紹介時に付けられたキャッチコピーは、「ボクってロリコンかな」。恐らく、「二次コン(二次元コンプレックス)」とごっちゃになったものと思われる。
 いずれにせよ、当時のNGは広報誌でありながら、ナムコの方針に異議を唱えることが多かった。このキャッチコピーもまた、一連のイラストに対する皮肉を含んでいたのかもしれない。

 その他にも、事前情報では「カイは一切攻撃できない」「価格が3,900円」などの特徴も見られた(当時のナムコのファミコンソフトは、定価が最低でも4,900円であり、同年3,900円で販売された他のソフトは、同じく遠藤雅伸氏制作の『ファミリーサーキット』のみだった)。
 しかし、実際にゲームに挑戦してみると、そうした事前情報からくる違和感を遙かに上回る“勝手の違い”に遭遇することとなる。

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最後のインベーダー世代?

 自分が初めて遊んだコンピューター・ゲームは、『スペースインベーダー』(タイトー・1978年)である。
 それまでブロック崩しなど、テレビゲームと言っても受動的なものしかなかった中、「自分で砲台を動かし、敵を撃つ」という桁外れの“自由”をもたらした作品である。『スペースインベーダー』は当然のように大ヒットした。そのへんの狂想曲は、他サイトに詳しいので割愛。

 そんな70年代のゲームを遊んだことがある世代となると、年齢的には40~50代、あるいは60代までも含まれるところ。しかし、自分がこのゲームを遊んだのは80年代に入ってからの話で、しかも当時は小学生だった。
 場所もゲームセンターやゲームコーナー、ましてやインベーダーハウス(店内に『スペースインベーダー』しかないという店)でもない。舞台は家の近所にあったラーメン屋。今ではすっかり見かけなくなったテーブル型の筐体、それが喫茶店はおろかラーメン屋でも活躍していたというわけだ。
 そのうえ、その時は別に自分にインベーダーをやりたい、という意志はなかった。ただ、誰もいないテーブルの中で何か動いているのが珍しく、それ(デモ画面)をじっと見つめていたところ、父に「やるか?」と言われ、100円を差し出されただけの話なのだ。
 そんな形での初ゲームは、経過も結果も覚えていない。たぶんゲームにすらなっていなかっただろう。だが、それが自分の記念すべき“テレビゲーム・デビュー”だったわけだ。
 考えてみれば、末期とはいえリアルタイムで『スペースインベーダー』をプレイできたのは、このあたりの時期が最後だったのかもしれない。もちろん、ひなびた温泉場のゲームコーナーなどには、この後もずっと遊ぶことが出来たりはしたが。

 

 なお、このデビューには後日談がある。
 全く気がついていなかったのだが、そのラーメン屋に、クラスメイトのSがいたらしい。
 翌日の学校、「帰りの会」の時に、そのSがスッと手を挙げ、こう言い出した。
 「きのうー、GILくんがやっちゃいけないインベーダーをやってましたー」
 たしかに当時、恐喝や不正クレジットなど諸々の問題があって、子供のゲームセンターへの立ち入りは好ましくない、とされていた。また、学校の規則としてそうした盛り場へ行くことも禁じられていたし、インベーダーも名指しで“やっちゃいけないものリスト”に加えられていたのだ。
 だが、昨日は父親の許諾もあるし、ゲームセンターではなくラーメン屋だ。咎められる筋合いもない。
 「だって、父さんがやっていいって言ったんだもーん!」すかさず反論するも、
 「でもダメなものはダメなんですー!」と、語尾を上げて言い返される。
 結末はたしかお咎めなしだったと思うが、Sがあそこまで自分を吊し上げにかかった理由は果たしてなんであったのか。正義感か、それとも何か密かに恨みを買っていたのか。
 いずれにせよ、初ゲーム=初チクリという苦い想い出も作ってしまったのであった。

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【3】ギルとカイへの過剰な愛情

 自分が『ドルアーガの塔』というゲームに、世界設定から入ったことは前述の通り。
 そもそも多数のキャラクターを生み出していたナムコの中にあっても、このゲームの主人公・ギル(ギルガメス)と、囚われのヒロイン・カイの人気は独自のものがあった。
 ナムコを代表する世界的キャラクター・パックマンや、マッピーといったキャラクターも人気は高かったが、これはどちらかといえばマスコット的な人気。一方、ギルとカイはいわばヒロイック・ファンタジーの中心人物として、感情移入の出来る存在だったのだ(もちろん、ごく普通の人間の姿だからという理由もあるが)。
 60もの障害を乗り越えて成長するギルと、その果てに救いを待つカイ。ポスターやポップなどで見られたイラストと、ごく限られた設定資料、そして自らの思い入れから、このゲームの虜となった人々は様々に思いを膨らませた。それが同人誌などの形となって、現在もなお発露し続けていることになる。

 かくいう自分は、当時まだその辺を意識するに至ってはいなかった。
 だが、キャラクターへの思い入れを決定づける、ある「事件」があった。

 1986年、『イシターの復活』が世に出る。『ドルアーガの塔』の続編として前評判も高く、発売後は熱心にやり込む人も多かったゲームだ。
 しかし、自分はこのゲームに決定的に乗り遅れてしまった。そもそも『ドルアーガの塔』も、FC版があったからこそハマることが出来たのであって、山奥に住んでいた身としては『イシターの復活』に触れる機会そのものが、ほとんどなかったのだ。
 ましてや複雑なその内容は、たまに触れることが出来る程度の子供では、先に進むことすらままならない。
 かくして、今に至るまで『イシターの復活』というゲームには、妙な苦手意識が付いてしまっている。

 だが、それ以上に自分にとって違和感があったのは、ゲームの主人公がカイに代わり、ギルが脇役になってしまったことだった。
 ゲーム性や遠藤氏の考えからするに、それは仕方のないことではあった。しかし、60もの障害を乗り越えてきた“救いの騎士”が、あっさりと端役に追いこまれたことに憤りを感じずにはいられなかった。
 そして、雑誌の投稿コーナーには「ギルを蔑ろにするカイ」のネタが踊ることになる。もちろん、そうしたネタを投稿した人々は、当時すでに自分よりずっと大人であった。だからネタに出来たのだと思うのだが、そうでもない子供にとっては苛立ちを助長する材料にしかならなかったのだ。
 極めつけは、ゲームのキャラクターデザインを手がけた篠崎雄一郎氏が、ナムコの広報誌「NG」に、「ギルはヒモ」というネタで4コママンガを掲載したこと。これが子供心に、何か決定的なダメ押しとなってしまったようだ。

 その時、ギルとカイへの偏愛が芽生えることとなる。
 偏愛とは、言ってしまえば「普通のカップルが当たり前のように幸せになる展開しか認めない」というもの。そんな嗜好を子供の頃に持っていたのかと思うと、我ながら空恐ろしい。
 年を取った今となっては、そこまでの偏愛は持っていないが、今でもそれを引きずっている部分は、多少なりともあるのだろう。

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目次

■『ドルアーガの塔』関連記事

【1】ドルアーガの塔とのすれ違い
【2】FC版『ドルアーガの塔』との出会い
【3】ギルとカイへの過剰な愛情
【4】『カイの冒険』の戸惑い
【5】女神の優しさと意地悪
【6】The Far Away of GOLD KNIGHT
【7】「移植」の歴史とPCエンジン版の衝撃
【番外】ついに発表!アニメ+MMORPG「ドルアーガ・プロジェクト」
【8】『ザ ブルークリスタルロッド』が目指したもの
【9】TODを褒めよう――その前に『ゼビウス』を褒めよう!
【10】TODを褒めよう――その前に遠藤雅伸を褒めよう!
【11】TODを褒めよう――『ゼビウス』に続くもの
【12】TODを褒めよう――“ファンタジー”との遭遇
【13】TODを褒めよう――アクションゲームとしての評価
【14】TODを褒めよう――RPGとしての評価
【15】TODを褒めよう――ゲーム・ミュージックの効能
【番外】49th Episode――アニメ版『ドルアーガの塔』完結 new!

■ゲームミュージック関連記事

【1】ゲームミュージックはナムコから始まった
【2】生録の妙味
【3】1986年のゲームミュージック
【4】GMOレーベルの隆盛の中で
【5】コンピュージックの戦略
【6】サイトロンレーベルの勃興とGMOレーベルの終焉
【7】キングレコードの進出とコナミの選択
【8】三つ巴のナムコ争奪戦
【9】理想郷への脱出
【10】誰が為にゲームミュージックはアレンジされる
【11】1987年、萌芽。
【12】両雄割拠――ZUNTATAとS.S.T.BAND
【13】G.S.M.1500シリーズという「新兵器」
【14】日本ファルコムの閃光
【15】80年代から90年代へ―― ZUNTATA・S.S.T.包囲網
【16】1990――新時代の種はすでに蒔かれていた
【17】GMF'90という名の“革命”前夜
【18】真夏の一夜の夢
【19】我思う、故にアレンジあり
【20】歌姫は静かに降臨する

■その他記事

最後のインベーダー世代?

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【2】FC版『ドルアーガの塔』との出会い

 『ドルアーガの塔』と本格的に向き合うことになったのは、アーケード版の登場から一年後。
 1985年に発売されたファミコン版『ドルアーガの塔』が、自分にとって最初に向き合った作品だ。
 当時、ファミコンはいわゆる「裏技ブーム」に涌いていた。開発者がキチンと設定した仕様から、カセットをズラして動作不良を誘発させる行為まで、再現性 があれば「裏技」としてゲーム雑誌に紹介された時期。そして、その知識をいち早く知ることが、当時の子供にとってステータスのひとつであった。
 ましてや『ドルアーガの塔』ともなれば、1面にひとつは裏技が仕込まれているようなゲーム。折しも『ゼビウス』のあたりからゲームの攻略本も発売され、この『ドルアーガの塔』においては攻略本も巻き込んでのブームを巻き起こしたのだ。

 とはいえ、FC版を買ったのは自分ではない。近所に住んでいた友達のMが買ったというので、ちょくちょく遊びに行っては持ち主以上に没頭し、さらに借りては没頭していた。
 そして、持ち主でもないのに、攻略本まで買ってしまった。緑色の表紙の、アスキー出版「ドルアーガの塔のすべてがわかる本」である。
 これがある意味で運命的な出会いだった。冒頭の見開き2ページに書かれたストーリーは、ゲーム本編に直接影響のない設定としては、濃厚すぎるものだった。ゲーム本編もさることながら(アクションゲームとしては面白いことは間違いないので)、この今までにないストーリーで『ドルアーガの塔』の魅力に取り憑かれてしまったのだ。
 ちなみに、『ドルアーガの塔』の開発者である遠藤雅伸氏が、その前の作品『ゼビウス』でも「ファード・ラウト」という、もっと濃厚な設定を盛り込んでいたことを知ったのは、ずっと後の話。

 ともかく、他人の所持品でありながら、FC版にはひたすらのめりこんだ。
 攻略本を2冊以上買うわ、BGMを録音するわ、さらには「リセットボタンを連打すると裏面に行ける」という情報も、借り物のカセットであることも忘れて何度も試した。
 やがて他の魅力的なゲームが発売され、『ドルアーガの塔』を遊ぶ機会はどんどん減っていった。
 しかし、それでも濃密な世界設定とともに、『ドルアーガの塔』は心の中で大事な位置を占めていたのだ。
 それは20年以上経った今でも、変わることはない。

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【1】ドルアーガの塔とのすれ違い

 自分の人生の中で、一番好きなゲームと言えば『ドルアーガの塔』(ナムコ・1984年)になる。
 これは「一番遊んだ」でも「一番楽しい」でも「一番お金を注ぎ込んだ」でもない。たぶんお金なら『バーチャファイター2』の方に注ぎ込んだだろうし、一番楽しいゲームは恐らく一生のうちには決められない。
 むしろ『ドルアーガの塔』は、「一番愛している」と言った方がいいかもしれない。そういう存在である。

 自分には6歳上の兄がおり、一足早く大人びた世界を歩んでいた兄からは、多大な影響を受けた。
 そのひとつに、今も敬愛する“YELLOW MAGIC ORCHESTRA”の存在がある。そして、その兄からYMOの元リーダー(当時)・細野晴臣の新作として聴かされたのが、ナムコのゲーム音楽を収録した『VIDEO GAME MUSIC』。これがゲーム・ミュージック好きとなるひとつの契機になったのだが、それはまた別の機会に改めて。
 その流れから、続編(?)にあたる12インチシングル『SUPER XEVIOUS』も、兄に聴かせてもらった。
 一番衝撃を受けたのが、3曲目の「THE TOWER OF DRUAGA」。
 今となっては、当時の技術水準を感じさせる素朴な打ち込みストリングスではあるが、当時の子供の耳には重厚なフル・オーケストラに聞こえたのだ。そのゲームらしくない長いタイトルと相まって、「この『ドルアガの城』って、一体どんなゲームなんだろう?」という想像を、まだ見ぬゲームに対し膨らませていた。…「城」と「塔」を間違ってることにも気づかず。

 それからしばらく経ち、いつものように親の買い物に連れて行ってもらい、いつものようにスーパーのゲームコーナーに向かったときのこと。
 それなりに広く、ゲーム台数も充実していたそのゲームコーナーの、とある場所だけ人だかりが出来ていた。取り囲む人は皆、大人(おそらく大学生)。ともかくその一画だけ、異様な雰囲気であった。
 単純に興味を持ち、その人混みに割って入ってみる。
 人だかりの中心にあったのは、『ドルアーガの塔』。しかも、60階をクリアに向けて歩んでいる真っ最中だったのだ。
 だが、子供である自分は、それが『ドルアーガの塔』だということにまったく気がつかなかった。それどころか、すでに台座に立てられていたレッド・クリスタル・ロッドを見て、「なんだ、ボーナスステージか…」と思い、すぐにその場を立ち去ったのだ。
 今でもなぜか、その思い違いだけは明確に覚えている。
 当然のことながらエンディングを見届けることはなく、その後の記憶も定かではない。
 だが、このすれ違いが『ドルアーガの塔』というゲームとの、最初の出会いだったのだ。

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ぎるろぐ。始めます

 本日より、なんとなくブログを書いてみる。
 といっても、日記は某SNSで書いてるし、『ドルアーガオンライン』のプレイ日記は別のブログですでに書いている。

 ここでは、あくまで「日記」というスタンスではなく、ゲームにまつわる過去の記憶を回想したり、今のゲームを楽しんでみたり、自分の考えを書いてみたり…といった、五月雨的に文章を書き綴る場所、になると思う。
 面白いか面白くないかはともかく、かつてゲームにはこんな場面もあったんだ、といった感じで脳裏にちょこっとでも引っかかってくれれば、これ幸い。

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