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【4】GMOレーベルの隆盛の中で

 1986年にアルファレコードに発足した、ゲームミュージック専門のレーベル・GMO。
 1987年以降も様々なメーカーのゲームミュージック・アルバムをリリースし、マニアを驚喜させ続けた。以下がその主な作品のリストとなる。

 ●タイトー・ゲーム・ミュージック(1987/1/25)
 ●SNK・ゲーム・ミュージック(1987/2/25)
 ●セガ・ゲーム・ミュージックVOL.2(1987/2/25)
 ●コナミ・ゲーム・ミュージックVOL.3(1987/3/25)
 ●カプコン・ゲーム・ミュージックVOL.2(1987/3/25)
 ●カプコン・ゲーム・ミュージックVOL.3(1987/4/25)
 ●タイトー・ゲーム・ミュージックVOL.2(1987/6/25)
 ●ナムコ・ゲーム・ミュージックVOL.1(1987/7/25)
 ●ナムコ・ゲーム・ミュージックVOL.2(1987/8/25)
 ●セガ・ゲーム・ミュージックVOL.3(1987/10/10)
 ●エニックス・ゲーム・ミュージック(1987/10/25)
 ●ファルコム・ゲーム・ミュージック(1987/11/10)
 ●ファミコン・ミュージックVOL.2(1987/11/28)
 ●セガ体感ゲームスペシャル(1987/12/21)
 ●アイレム・ゲーム・ミュージック(1988/1/25)
 ●コナミ・ゲーム・ミュージックVOL.4(1988/3/10)
 ●データイースト・ゲーム・ミュージック(1988/5/10)

 ほぼ月に一作、多いときでは二作以上リリースしている。そして、そのほとんどがアーケードゲームのレコード化。聴こうと思えば家で腰を据えてじっくり聴けるパソコンや家庭用ゲーム機よりも、アーケードゲームの音楽をマニアが求めていたことは火を見るより明らか。
 87年にはGMOレーベルの公式ファンクラブ「GMOアソシエイツ」も結成され、その支持は日増しに急上昇していった。

 だが、当時でも問題点はいくつか指摘されていた。
 中でもマニアが一番敏感になっていたのは、「収録タイトル漏れ」あるいは「収録曲漏れ」である。

 

 「収録タイトル漏れ」とは、単純にアルバムには取り上げられなかったゲームが存在した、ということ。せっかくメーカーがレコード化という好機を得ながら、そこに収録されなかったタイトルというのも多数存在した。
 極端な例を挙げれば、セガはVOL.1から「人気作・新作・体感ゲームのアルバム化」が主眼におかれており、他社のように過去のタイトルや、新作でもテーブル筐体のゲームが取り上げられることは、ほとんど無かった。GMO時代にレコード化されたテーブル筐体ゲームのタイトルは、『ファンタジーゾーン』『カルテット』『エイリアンシンドローム』『SDI』『ダンクショット』の5つのみ(うち『ダンクショット』はCDのみの収録)。他社のアルバムが、レコード一枚に10タイトル前後詰め込んでいることを考えると、かなり寂しい。

 それとは逆に、収録タイトルを増やしたことにより起きるのが「収録曲漏れ」である。これはアルバムに収録されたものの、全曲は網羅されておらず、一部の人気曲や目立つ曲のみがレコード化されたという現象だ。
 当時はまだ主にLPで発売していた関係上、収録時間も長くて60分が限度であった。そのため、「致し方ない話」「まだレコード化してくれるだけ有難い」といった好意的なとらえ方も多かった。しかし、収録曲漏れも極端な例を挙げれば、『ファミコン・ミュージックVOL.2』収録の『メトロイド』など、「タイトル画面の曲」「ゲーム開始のファンファーレ」と続いた後、いきなり「エンディングの曲」になってしまう。つまりゲーム中のBGMがすべて収録漏れしてしまったのだ。これでは、いくらなんでもサウンドトラックとしては意味をなさないだろう。
 また、もっとミクロな問題として「曲が1ループ収録されていない」というものもあった。簡単に言えば、楽曲がフルコーラス収録されず大サビに入る前にフェードアウトされているようなもので、これもたびたび非難の的となっていた。

 ちなみに、これらの問題のあおりを食ったのが、アレンジバージョンである。
 上記のアルバムには、原曲をシンセサイザーなどで演奏した“アレンジバージョン”と呼ばれるトラックが収録されることが多かった。曲をPSGなどの音源の枷から解き放ち、より高い表現力で曲そのものの魅力を引き出す――という効能も、あるにはある。しかし、多くのマニア達は、「余計なことをするな」「原曲がいいのに…」という考え方であった(これには、オリジナルが収録されずアレンジしか入っていないタイトルもあったことも大きな要因と言える)。
 『タイトー・ゲーム・ミュージックVOL.2』は、収録曲を『ダライアス』1タイトルのみに絞り、さらにメインBGM5曲をZUNTATAとコンスタンス・タワーズ(松前公高が参加していたバンド)がアレンジするという、当時のGMOには珍しいスタイルのレコードとなった。だが、これに対しても「こんなアレンジを入れるぐらいなら、他のタイトルを1曲でも多くレコードに入れろ」という、不満の声も聞かれたのだ(とくにコンスタンス・タワーズのアレンジがかなり思い切ったものだったためか、今でこそ評価されているが当時は雑誌でも叩かれていた)。

 この背中合わせの問題点は、GMOレーベルならではのものだったと思える。
 いくつものゲームメーカーを取り上げ、毎月アルバムをリリースするという流れでは、ひとつのメーカー、ひとつのタイトルに注力するということは難しかったのかもしれない。とくにまだCDに完全に移行しておらず、収録時間の短いLPがメインストリームだった時代を考えると、後のサイトロン・レーベルのようなわけにはいかなかったのだろう。

 しかし、その一方では、ゲームミュージックという新たなマーケットの開拓を目指し、他のレコード会社が参入してくることとなる。
 他社はGMOが取り上げていないゲームやメーカー、またGMOのテリトリーにないパソコンや家庭用ゲーム機の音楽に的を絞り、独自の勢力を築き上げていった。やがて、これがゲームミュージックのレコード化に新たな潮流を生み出していくことになるのである。

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