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【6】サイトロンレーベルの勃興とGMOレーベルの終焉

 1988年の夏、ゲームミュージック界に衝撃が走る。
 GMOレーベルにおいて制作の中核をなしていたメンバーが独立し、株式会社サイトロン・アンド・アートを設立。ポニーキャニオンと契約し、「サイトロンレーベル」からゲームミュージックのアルバムのリリースを開始…という事件が起きたのだ。

 サイトロンのCD第1弾は、1988年6月21日に発売された『NINJA WARRIORS -G.S.M.TAITO 1-/ZUNTATA』、第2弾は7月21日発売の『GALAXY FORCE -G.S.M.SEGA 1-/S.S.T.BAND』。「G.S.M.」とは「ゲーム・シミュレーション・ミュージック」の意だ。これらのアルバムに関しては、ゲームミュージック・バンド「S.S.T.BAND」のデビュー作となったことが大きなトピックではあるが、これに関してはまた別の機会に触れたい。
 当時はそれ以上に、『ダライアス』で多大な評価を集めつつあったタイトーと、『アウトラン』『スペースハリアー』『ファンタジーゾーン』『アフターバーナー』とGMOレーベルでキラータイトルを連発してきたセガが、サイトロンとともにGMOレーベルから移ってきたことがマニアにとって一番の驚きであった。
 この後のタイトルを見ても、

 ●GAME SOUND JALECO -G.S.M.JALECO 1- (1988/8/21)
 ●GAME SOUND Nichibutsu -G.S.M. Nichibutsu 1- (1988/9/21)
 ●SUPER MARIO BROS.3 -G.S.M.(FC) Nintendo 1- (1988/10/21)
 ●GAME SOUND SNK -G.S.M.SNK 1- (1988/10/21)
 ●究極TIGER -G.S.M.TAITO 2- (1988/11/21)
 ●未来忍者 -G.S.M.NAMCO 1- (1988/12/21)
 ●IMAGE FIGHT -G.S.M.IREM 1- (1989/1/21)
 ●大魔界村 -G.S.M.CAPCOM 1-/アルフ ライラ ワ ライラ (1989/1/21)
 ●忍者龍剣伝 -G.S.M.TECMO 1- (1989/2/1)

 …と、コナミとデータイースト、パソコンゲームメーカーを除く各社が、88年度内にすべてGMOからサイトロンに移ってきたこととなる(データイーストは89年6月21日にサイトロンからCDをリリース。コナミは別の機会に説明)。加えて、GMOレーベルのファンクラブ「GMOアソシエイツ」が、そのままサイトロンレーベルのファンクラブ「FSG(FRIENDLY SCITRON GAME-ENTERTAINMENT)」にスライドしたこともあり、GMOレーベルがそのままサイトロンレーベルに暖簾を変えたことは明らかであった。
 また、GMOレーベル時代にはアルバム化に至らなかった、ジャレコとニチブツ(日本物産)のCD化も話題を呼んだ。

 サイトロン設立当初の特徴には、GMOレーベル時代にはなかった先進性があった。
 まず、LPでのリリースからCDに移行した点。これは時代がちょうど過渡期だったこともあるが、以前にも触れたようにLPは収録時間の長さがCDに比べ短かった。そのギャップを埋めるべく、CDおよびカセットテープ版の収録タイトルのうち、いくつかはLPには収録しないという方法で差を付けたのだ(GMOレーベル時代の『セガ・ゲーム・ミュージックVOL.3』と同じ)。LPに合わせるのではなくCDに合わせたことは、まさに時代の移り変わりを感じさせることとなった。LP版の同時リリースは、ほどなくして89年2月21日発売の『ファミコンジャンプ~英雄烈伝 -G.S.M.(FC) BANDAI 1-』を最後に終了した。
 また、ビデオの制作にも力を入れていたのも特徴である。ビデオは「G.S.V.(ゲーム・シミュレーション・ビデオ)」と銘打ち、当時の人気タイトルや過去の名作のビデオを制作。発売はサイトロンレーベルのみならず、その収録したゲームのメーカーが自ら発売したこともあった。ちなみに、ゲームの模様を収録したビデオに関しては、サイトロンが嚆矢というわけではない。1987年の段階で、CBSソニー(当時)などからセガやタイトーのゲームのビデオがリリースされていた。
 ほかにも、ゲームショーなどの映像を収録した情報ビデオ「サイトロン・デジタル・ビデオプレス」を制作し、全国のレンタルビデオ店で無料レンタルを実施したり、FM富士(山梨県を放送対象とした独立FM局)でラジオ番組「サイトロン・デジタル・プレス!」を放送するなど、GMO時代にはなかった様々な試みが話題を呼んだ。当時は“マルチメディア”という言葉がある種のキーワードとなっており、それを実践するレーベルとして注目を集めたこともある。
 何より、肝心のレコード会社であるポニーキャニオンは、フジサンケイグループの一員。当時まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであったフジテレビのイメージも強く、こうした多角的な活動はゲームミュージックの新時代到来を予感させるものがあったと言えよう。

 こうしてサイトロンレーベルがハデに活動する一方、根幹機能を失ったGMOレーベルは、オリジナル作品をリリースできなくなってしまった。88年8月25日に、『コナミ・ゲーム・ミュージック・スペシャル』と銘打ったベストアルバムを発売したぐらいで、動きが止まってしまう。
 その後、なんとかしてスタッフを揃えられたのか経緯は定かではないが、同年12月21日に『最後の忍道』『ビジランテ』、翌89年1月25日に『イメージファイト』(いずれもアイレムのゲーム)のサントラを、それぞれシングルCDで発売する。前項で触れた「コンピュージック」の手法を思わせるが、価格はいずれも1500円と、割高感は否めなかった。加えて、前述した『IMAGE FIGHT -G.S.M.IREM 1-』には、この3タイトルが完全収録されており、その時点で存在価値も消えてしまったと言える。GMOレーベルのシングル作品集も、結局この3タイトルで終わってしまったのだ。

 だが、89年4月10日には、『ザ・スキーム/古代祐三』をリリースし、人気を得る。その後も『ザ・スーパー忍&WORKS』『アクトレイザー』など古代作品を続々と発表、奇跡的に生き存えることとなった。
 しかし、90年代後半には古代自身がゲームプロデュース活動にシフトし、音楽作品のリリースがなくなったこと、またバブル崩壊のあおりでアルファレコードそのものの活動規模が縮小されたことから、長きにわたりゲームミュージック・マニアに支持され続けてきたGMOレーベルは、21世紀を見ることなく終焉を迎えるすることとなった。
 その『ザ・スキーム/古代祐三』が2002年8月21日、サイトロン(この時はサイトロン・デジタルコンテンツ)により復刻されることとなったのは、また皮肉である。

※追記
 じつは88年6月のサイトロンレーベルのアルバム発売に先駆け、前年12月16日に『アフターバーナー』『セガバイクスペシャル』『セガスーパーゲーム6』というビデオ3タイトルを、ポニーキャニオンよりリリースしている(これらはサイトロン名義ではないが、サイトロンのカタログに掲載が確認されている)。GMOレーベルではビデオの発売がなかったことから、サイトロンのビデオ部門がアルバム部門に先駆けて発足したのか、あるいはすでに存在したポニーキャニオンのゲームビデオ制作チームと合体する形で、サイトロン・アンド・アートという会社が出来上がったのかもしれない。

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