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【7】キングレコードの進出とコナミの選択

 前回の記事で、サイトロンレーベルの発足に際し、コナミだけは追随しなかった点に少しだけ触れた。
 今回は、そのコナミが選択した道について触れてみる。

 1988年、サイトロンレーベルが設立される前の段階で、コナミはレコード会社3社からアルバムを発売していた。
 うち2社は、以前の記事にも書いたGMO(アルファレコード)コンピュージック(アポロン音楽工業)。そして残りの1社は、コナミレーベル(キングレコード)だ。

 キングレコードのゲームミュージックとの関わりは、1986年から。あの『スーパーマリオブラザーズ』のヒットに乗じて、企画物レコードを発売したうちの一社にあたる(【3】1986年のゲームミュージック参照)。
 その後、1987年115日リリースのミュージック・フロム・イースを皮切りに、日本ファルコムの作品を中心としたパソコンゲームのサントラを精力的にリリースする。エニックスやT&Eソフトのサントラもリリースしていたが、メインストリームは完全に日本ファルコムの作品群であった。
 キングレコードの特徴的なこだわりとして、“CDのトラックを1曲単位で細かく分割”することが挙げられる。ひとつのゲームでもステージごとに異なる曲を用意した場合、総曲数は数十曲を超えることが当たり前だったゲームミュージック。しかし、CDは最大で99トラックまでしか割り振ることができない。そのため、複数のタイトルを収録したアルバムの場合、ゲーム1タイトルや同一ゲームの曲数曲に対して、トラックひとつを割り振るのが常であった。レコードやカセットテープと同様、当時はとあるゲームの特定の曲だけ聴きたい場合でも、いちいちCDの早送り・巻戻しを駆使して、その曲の頭出しをする必要があったのだ。キングレコードはその慣習を打ち破り、そのためにアルバムの総トラック数が50を超えることも珍しくなかった。

 コナミに話を戻すと、88年に発売されたサントラは以下のようになる。

 ●OVA沙羅曼蛇 (1988/2/21)
 ◎A-JAX~コナミ・ゲーム・ミュージックVOL.4 (1988/3/10)
 ●ミュージック・フロム・スーパー魂斗羅&A-JAX (1988/3/21)
 ★スペース・オデッセイ・グラディウスII~ゴーファーの野望 (1988/7/21)
 ●コナミ・ゲーム・ミュージック・コレクションVOL.1 (1988/8/5)
 ◎コナミ・ゲーム・ミュージック・スペシャル (1988/8/25)
 ★組曲グラディウス・ファンタジア (1988/11/21)
 ●OVA沙羅曼蛇~瞑想のパオラ (1988/12/21)
 ●OVA沙羅曼蛇~ゴーファーの野望 (1989/2/21)

 ●印がキングレコード、◎印がアルファレコード、★印がアポロン音楽工業からのリリースを、それぞれ表す。
 ここにある「OVA沙羅曼蛇」とは、当時コナミが作ったオリジナル・ビデオ・アニメーションのこと。キャラクターデザインに美樹本晴彦を迎えるなど、豪華なスタッフを集めてOVAに進出していたのだ。
 じつは前年の87年から、コナミは“KONAMI VIDEO COLLECTION”というシリーズ名で、「オリジナル・ゲームBGV」として『グラディウス』『ツインビー』などのゲームのビデオ作品をリリースしてい る。その後、同じシリーズでOVA『沙羅曼蛇』を3作制作し、88年2月・11月・89年2月と一年半かけて展開していた。
 このように、キングレコードとコナミの関係はOVAのサントラから始まっていた。
 しかし、興味深いのがその直後に発売された『ミュージック・フロム・スーパー魂斗羅&A-JAX』。GMOの『A-JAX~コナミ・ゲーム・ミュージックVOL.4』のリリースから二週間と経たずに発売されたこのアルバムは、人気作の『A-JAX』と、『~VOL.4』に収録されていない『スーパー魂斗羅』が収録されていた。ほぼ同時期の発売でありながら、この収録内容の違いに、当時のファンはどちらを買うべきか大いに悩まされることとなった。
 さらに、当時最大のキラータイトルであった『グラディウスII~ゴーファーの野望』のサントラにおいても、アポロン音楽工業の『スペース・オデッセイ・グラディウスII~ゴーファーの野望』とキングレコードの『コナミ・ゲーム・ミュージック・コレクションVOL.1』とでは、こちらも二週間ほどしか差がない。しかも収録タイトルの多さでは、キングレコードの方に軍配が上がっている。
 当時、『沙羅曼蛇』を収録したサントラが、GMOとコンピュージックの両方からリリースされたことはあった。しかし、この事例のようにリリース時期が極めて近接していたわけではない。このことから、キングレコードのコナミレーベルに対する入れ込みようが伺えるかもしれない。

 そして、こんな興味深い作品もある。

 ●沙羅曼蛇 (1988/3/21)
 ●グラディウスII~ゴーファーの野望 (1988/6/21)
 ●コナミ・シューティング・ベスト (1988/6/21)
 ●サンダークロス (1989/2/21)
 ●悪魔城ドラキュラ (1989/2/21)
 ●コナミ・ベストセレクション (1989/2/21)

 以上の6タイトルは、サイトロン制作・コナミ販売によるビデオである。『沙羅曼蛇』には、パッケージに“GAME SIMULATION VIDEO”という表記があり、他の5タイトルについても「G.S.V.」というロゴがついている。「G.S.V.」ロゴの付いた作品は、折しもサイトロンレーベル第1作目の『NINJA WARRIORS -G.S.M.TAITO 1-/ZUNTATA』と同じ日の発売。ある意味、コナミはサイトロンレーベルに参入していたとも言えるだろう。

 しかし、紆余曲折を経てコナミが最終的に選んだのは、キングレコードであった。
 1989年5月21日、約9ヶ月ぶりに発売されたゲームミュージック・アルバム『サンダークロス』を境に、コナミのCD・ビデオなどのメディアはキングレコードより独占的にリリースされるようになった。そして、キングレコードはコナミレーベルファルコムレーベルを二枚看板にして、90年代に黄金時代を築くことになるのだ。
 今にしてみれば、同じゲームのサントラが異なるレコード会社から、それも時期を同じくして複数リリースされるということは、異常事態と言えるだろう。当時のゲームミュージック界は、それだけ弱肉強食と言えたのかもしれないが、一歩間違えばいたずらに消費者の混乱を招くだけとも言える。
 過渡期ゆえの混乱と迷走――それも遠い記憶になってしまった。

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【6】サイトロンレーベルの勃興とGMOレーベルの終焉

 1988年の夏、ゲームミュージック界に衝撃が走る。
 GMOレーベルにおいて制作の中核をなしていたメンバーが独立し、株式会社サイトロン・アンド・アートを設立。ポニーキャニオンと契約し、「サイトロンレーベル」からゲームミュージックのアルバムのリリースを開始…という事件が起きたのだ。

 サイトロンのCD第1弾は、1988年6月21日に発売された『NINJA WARRIORS -G.S.M.TAITO 1-/ZUNTATA』、第2弾は7月21日発売の『GALAXY FORCE -G.S.M.SEGA 1-/S.S.T.BAND』。「G.S.M.」とは「ゲーム・シミュレーション・ミュージック」の意だ。これらのアルバムに関しては、ゲームミュージック・バンド「S.S.T.BAND」のデビュー作となったことが大きなトピックではあるが、これに関してはまた別の機会に触れたい。
 当時はそれ以上に、『ダライアス』で多大な評価を集めつつあったタイトーと、『アウトラン』『スペースハリアー』『ファンタジーゾーン』『アフターバーナー』とGMOレーベルでキラータイトルを連発してきたセガが、サイトロンとともにGMOレーベルから移ってきたことがマニアにとって一番の驚きであった。
 この後のタイトルを見ても、

 ●GAME SOUND JALECO -G.S.M.JALECO 1- (1988/8/21)
 ●GAME SOUND Nichibutsu -G.S.M. Nichibutsu 1- (1988/9/21)
 ●SUPER MARIO BROS.3 -G.S.M.(FC) Nintendo 1- (1988/10/21)
 ●GAME SOUND SNK -G.S.M.SNK 1- (1988/10/21)
 ●究極TIGER -G.S.M.TAITO 2- (1988/11/21)
 ●未来忍者 -G.S.M.NAMCO 1- (1988/12/21)
 ●IMAGE FIGHT -G.S.M.IREM 1- (1989/1/21)
 ●大魔界村 -G.S.M.CAPCOM 1-/アルフ ライラ ワ ライラ (1989/1/21)
 ●忍者龍剣伝 -G.S.M.TECMO 1- (1989/2/1)

 …と、コナミとデータイースト、パソコンゲームメーカーを除く各社が、88年度内にすべてGMOからサイトロンに移ってきたこととなる(データイーストは89年6月21日にサイトロンからCDをリリース。コナミは別の機会に説明)。加えて、GMOレーベルのファンクラブ「GMOアソシエイツ」が、そのままサイトロンレーベルのファンクラブ「FSG(FRIENDLY SCITRON GAME-ENTERTAINMENT)」にスライドしたこともあり、GMOレーベルがそのままサイトロンレーベルに暖簾を変えたことは明らかであった。
 また、GMOレーベル時代にはアルバム化に至らなかった、ジャレコとニチブツ(日本物産)のCD化も話題を呼んだ。

 サイトロン設立当初の特徴には、GMOレーベル時代にはなかった先進性があった。
 まず、LPでのリリースからCDに移行した点。これは時代がちょうど過渡期だったこともあるが、以前にも触れたようにLPは収録時間の長さがCDに比べ短かった。そのギャップを埋めるべく、CDおよびカセットテープ版の収録タイトルのうち、いくつかはLPには収録しないという方法で差を付けたのだ(GMOレーベル時代の『セガ・ゲーム・ミュージックVOL.3』と同じ)。LPに合わせるのではなくCDに合わせたことは、まさに時代の移り変わりを感じさせることとなった。LP版の同時リリースは、ほどなくして89年2月21日発売の『ファミコンジャンプ~英雄烈伝 -G.S.M.(FC) BANDAI 1-』を最後に終了した。
 また、ビデオの制作にも力を入れていたのも特徴である。ビデオは「G.S.V.(ゲーム・シミュレーション・ビデオ)」と銘打ち、当時の人気タイトルや過去の名作のビデオを制作。発売はサイトロンレーベルのみならず、その収録したゲームのメーカーが自ら発売したこともあった。ちなみに、ゲームの模様を収録したビデオに関しては、サイトロンが嚆矢というわけではない。1987年の段階で、CBSソニー(当時)などからセガやタイトーのゲームのビデオがリリースされていた。
 ほかにも、ゲームショーなどの映像を収録した情報ビデオ「サイトロン・デジタル・ビデオプレス」を制作し、全国のレンタルビデオ店で無料レンタルを実施したり、FM富士(山梨県を放送対象とした独立FM局)でラジオ番組「サイトロン・デジタル・プレス!」を放送するなど、GMO時代にはなかった様々な試みが話題を呼んだ。当時は“マルチメディア”という言葉がある種のキーワードとなっており、それを実践するレーベルとして注目を集めたこともある。
 何より、肝心のレコード会社であるポニーキャニオンは、フジサンケイグループの一員。当時まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであったフジテレビのイメージも強く、こうした多角的な活動はゲームミュージックの新時代到来を予感させるものがあったと言えよう。

 こうしてサイトロンレーベルがハデに活動する一方、根幹機能を失ったGMOレーベルは、オリジナル作品をリリースできなくなってしまった。88年8月25日に、『コナミ・ゲーム・ミュージック・スペシャル』と銘打ったベストアルバムを発売したぐらいで、動きが止まってしまう。
 その後、なんとかしてスタッフを揃えられたのか経緯は定かではないが、同年12月21日に『最後の忍道』『ビジランテ』、翌89年1月25日に『イメージファイト』(いずれもアイレムのゲーム)のサントラを、それぞれシングルCDで発売する。前項で触れた「コンピュージック」の手法を思わせるが、価格はいずれも1500円と、割高感は否めなかった。加えて、前述した『IMAGE FIGHT -G.S.M.IREM 1-』には、この3タイトルが完全収録されており、その時点で存在価値も消えてしまったと言える。GMOレーベルのシングル作品集も、結局この3タイトルで終わってしまったのだ。

 だが、89年4月10日には、『ザ・スキーム/古代祐三』をリリースし、人気を得る。その後も『ザ・スーパー忍&WORKS』『アクトレイザー』など古代作品を続々と発表、奇跡的に生き存えることとなった。
 しかし、90年代後半には古代自身がゲームプロデュース活動にシフトし、音楽作品のリリースがなくなったこと、またバブル崩壊のあおりでアルファレコードそのものの活動規模が縮小されたことから、長きにわたりゲームミュージック・マニアに支持され続けてきたGMOレーベルは、21世紀を見ることなく終焉を迎えるすることとなった。
 その『ザ・スキーム/古代祐三』が2002年8月21日、サイトロン(この時はサイトロン・デジタルコンテンツ)により復刻されることとなったのは、また皮肉である。

※追記
 じつは88年6月のサイトロンレーベルのアルバム発売に先駆け、前年12月16日に『アフターバーナー』『セガバイクスペシャル』『セガスーパーゲーム6』というビデオ3タイトルを、ポニーキャニオンよりリリースしている(これらはサイトロン名義ではないが、サイトロンのカタログに掲載が確認されている)。GMOレーベルではビデオの発売がなかったことから、サイトロンのビデオ部門がアルバム部門に先駆けて発足したのか、あるいはすでに存在したポニーキャニオンのゲームビデオ制作チームと合体する形で、サイトロン・アンド・アートという会社が出来上がったのかもしれない。

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【5】コンピュージックの戦略

 1986年の設立から、ゲームミュージックにおいて一大勢力を誇ったGMOレーベル。
 しかし、他社がそのまま手をこまねいて見守っているはずもなく、新たな市場となった「ゲームミュージック」に、さまざまな形で参入を始めた。
 なかでも最も注目すべきなのが、アポロン音楽工業が立ち上げた「コンピュージック」。GMOレーベルとは対極をなす手法で、ゲームミュージック・マニアの熱い支持を集めていた伝説的レーベルだ。

 コンピュージックが採った手法は、「ゲーム1タイトルに絞り、そのサウンドトラックを低価格で発売する」というもの。GMO(というよりアルファレコード)が『VIDEO GAME MUSIC』から続けてきた、「アルバム一枚に何作ものゲームの曲を収録」という路線とは正反対のものだった。
 第1弾は1986年の5月21日に発売された、ファミコン版『グラディウス』のサントラ作品、『オリジナル・サウンド・オブ・グラディウス』。当時、ファミコンには移植不可能と言われた『グラディウス』を、少々強引ながらも移植した作品としてヒットを記録しており、それに関連した作品ということになるのだろう。メディアはカセットテープとCDシングル、価格は1000円だった(恐らくEP版は発売されていない)。ただ、当時はまだアーケード版『グラディウス』はレコード化されておらず(GMOの『コナミ・ゲーム・ミュージックVOL.1』のリリースはこの1ヶ月後)、加えてジャケットをよく見ないとファミコン版のサントラということがわかりづらいため、それに対する不満の声も聞かれたという。

 しかし、この後のコンピュージックは、恐るべき2タイトルをリリースする。それが『組曲 ドラゴンクエスト』『オリジナル・サウンド・オブ・沙羅曼蛇』だ。
 10月5日発売の『組曲 ドラゴンクエスト』は、同ゲームが週刊少年ジャンプで猛烈にプッシュされていたこともあり、大ヒットを記録。それにあわせて、当時の子供にあまり馴染みのなかった“すぎやまこういち”という作曲家の名前を、広く知らしめることとなった(当時はよく「学生街の喫茶店」の作曲者、という紹介をされていた)。その効果もあってか、このアルバム(こちらはあくまでフルアルバム)もヒットし、さらにその後の一連のドラクエシリーズを長くレコード化していくこととなる。
 また、12月6日発売の『オリジナル・サウンド・オブ・沙羅曼蛇』は、文字通りアーケード版『沙羅曼蛇』のサントラ作品。『グラディウス』の続編として大きな注目を浴びていた同作品は、専用コンパネ(テーブル型ゲームながら専用筐体まで発売していた)にステレオスピーカーを内蔵するなど、音楽面でもパワーアップをアピールしていた。そのサウンドが注目される最中、一番最初にサントラをリリースしたのが他のどこでもない、コンピュージックだったのである。まだ世に出て間もないゲームのサントラが出ること自体異例だったうえ、1000円という低価格もあって、こちらもゲーマーに大きな話題を呼んだ。
 ちなみに、雑誌「BeeP」のソノシートに『沙羅曼蛇』が収録されたのが1987年3月号(つまり1987年初頭発売分)、GMOレーベルがアルバム化したのが1987年3月25日発売の『コナミック・ゲーム・フリークス(いわゆるVOL.3)』と、完全に遅きに失している。

 こうして1986年終盤にリリースした作品は、1987年以降“ドラクエシリーズ”“グラディウスシリーズ”という、大きな二本柱としてコンピュージックを支えることとなる。
 “ドラクエシリーズ”は以降の続編のサントラに始まり、ピアノやエレクトーンでのアレンジ、コンサートのCD化、CDドラマなど多彩な角度から作品をリリースした。
 また“グラディウスシリーズ”は、コナミ作品の中でも『グラディウス』シリーズに特化し、名作として名高いMSX版『グラディウス2』のサントラを発売したほか、『グラディウスII~GOFERの野望~』のCD化もいち早く行っている。

 加えて、日本ファルコムをはじめとするパソコンゲームや、マイナーだが密かに注目されていたメーカー(テクノスジャパン、コアランドなど)の作品、さらにはアスキー関連のファミコン版『ウィザードリィ』や『オホーツクに消ゆ』などを、続々とサントラ化(あるいはアレンジアルバム化)していった。とりわけ、日本ファルコムでは『ザナドゥ』『ロマンシア』『ドラゴンスレイヤーIV』といった名曲群を取り上げており、初期の古代祐三作品をリリースしたことは、まさに慧眼である。

 ゲーム単独タイトルに集中し、また新たな鉱脈を次々と探し求めるその姿勢は、結果としてゲームミュージック界に偉大なる功績を残したと言えるだろう。
 そして、この「ゲーム単独タイトルのレコード化」という路線は、後に他のレーベルが追随し、また新たな時代を生み出すこととなるのだ。

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【4】GMOレーベルの隆盛の中で

 1986年にアルファレコードに発足した、ゲームミュージック専門のレーベル・GMO。
 1987年以降も様々なメーカーのゲームミュージック・アルバムをリリースし、マニアを驚喜させ続けた。以下がその主な作品のリストとなる。

 ●タイトー・ゲーム・ミュージック(1987/1/25)
 ●SNK・ゲーム・ミュージック(1987/2/25)
 ●セガ・ゲーム・ミュージックVOL.2(1987/2/25)
 ●コナミ・ゲーム・ミュージックVOL.3(1987/3/25)
 ●カプコン・ゲーム・ミュージックVOL.2(1987/3/25)
 ●カプコン・ゲーム・ミュージックVOL.3(1987/4/25)
 ●タイトー・ゲーム・ミュージックVOL.2(1987/6/25)
 ●ナムコ・ゲーム・ミュージックVOL.1(1987/7/25)
 ●ナムコ・ゲーム・ミュージックVOL.2(1987/8/25)
 ●セガ・ゲーム・ミュージックVOL.3(1987/10/10)
 ●エニックス・ゲーム・ミュージック(1987/10/25)
 ●ファルコム・ゲーム・ミュージック(1987/11/10)
 ●ファミコン・ミュージックVOL.2(1987/11/28)
 ●セガ体感ゲームスペシャル(1987/12/21)
 ●アイレム・ゲーム・ミュージック(1988/1/25)
 ●コナミ・ゲーム・ミュージックVOL.4(1988/3/10)
 ●データイースト・ゲーム・ミュージック(1988/5/10)

 ほぼ月に一作、多いときでは二作以上リリースしている。そして、そのほとんどがアーケードゲームのレコード化。聴こうと思えば家で腰を据えてじっくり聴けるパソコンや家庭用ゲーム機よりも、アーケードゲームの音楽をマニアが求めていたことは火を見るより明らか。
 87年にはGMOレーベルの公式ファンクラブ「GMOアソシエイツ」も結成され、その支持は日増しに急上昇していった。

 だが、当時でも問題点はいくつか指摘されていた。
 中でもマニアが一番敏感になっていたのは、「収録タイトル漏れ」あるいは「収録曲漏れ」である。

 

 「収録タイトル漏れ」とは、単純にアルバムには取り上げられなかったゲームが存在した、ということ。せっかくメーカーがレコード化という好機を得ながら、そこに収録されなかったタイトルというのも多数存在した。
 極端な例を挙げれば、セガはVOL.1から「人気作・新作・体感ゲームのアルバム化」が主眼におかれており、他社のように過去のタイトルや、新作でもテーブル筐体のゲームが取り上げられることは、ほとんど無かった。GMO時代にレコード化されたテーブル筐体ゲームのタイトルは、『ファンタジーゾーン』『カルテット』『エイリアンシンドローム』『SDI』『ダンクショット』の5つのみ(うち『ダンクショット』はCDのみの収録)。他社のアルバムが、レコード一枚に10タイトル前後詰め込んでいることを考えると、かなり寂しい。

 それとは逆に、収録タイトルを増やしたことにより起きるのが「収録曲漏れ」である。これはアルバムに収録されたものの、全曲は網羅されておらず、一部の人気曲や目立つ曲のみがレコード化されたという現象だ。
 当時はまだ主にLPで発売していた関係上、収録時間も長くて60分が限度であった。そのため、「致し方ない話」「まだレコード化してくれるだけ有難い」といった好意的なとらえ方も多かった。しかし、収録曲漏れも極端な例を挙げれば、『ファミコン・ミュージックVOL.2』収録の『メトロイド』など、「タイトル画面の曲」「ゲーム開始のファンファーレ」と続いた後、いきなり「エンディングの曲」になってしまう。つまりゲーム中のBGMがすべて収録漏れしてしまったのだ。これでは、いくらなんでもサウンドトラックとしては意味をなさないだろう。
 また、もっとミクロな問題として「曲が1ループ収録されていない」というものもあった。簡単に言えば、楽曲がフルコーラス収録されず大サビに入る前にフェードアウトされているようなもので、これもたびたび非難の的となっていた。

 ちなみに、これらの問題のあおりを食ったのが、アレンジバージョンである。
 上記のアルバムには、原曲をシンセサイザーなどで演奏した“アレンジバージョン”と呼ばれるトラックが収録されることが多かった。曲をPSGなどの音源の枷から解き放ち、より高い表現力で曲そのものの魅力を引き出す――という効能も、あるにはある。しかし、多くのマニア達は、「余計なことをするな」「原曲がいいのに…」という考え方であった(これには、オリジナルが収録されずアレンジしか入っていないタイトルもあったことも大きな要因と言える)。
 『タイトー・ゲーム・ミュージックVOL.2』は、収録曲を『ダライアス』1タイトルのみに絞り、さらにメインBGM5曲をZUNTATAとコンスタンス・タワーズ(松前公高が参加していたバンド)がアレンジするという、当時のGMOには珍しいスタイルのレコードとなった。だが、これに対しても「こんなアレンジを入れるぐらいなら、他のタイトルを1曲でも多くレコードに入れろ」という、不満の声も聞かれたのだ(とくにコンスタンス・タワーズのアレンジがかなり思い切ったものだったためか、今でこそ評価されているが当時は雑誌でも叩かれていた)。

 この背中合わせの問題点は、GMOレーベルならではのものだったと思える。
 いくつものゲームメーカーを取り上げ、毎月アルバムをリリースするという流れでは、ひとつのメーカー、ひとつのタイトルに注力するということは難しかったのかもしれない。とくにまだCDに完全に移行しておらず、収録時間の短いLPがメインストリームだった時代を考えると、後のサイトロン・レーベルのようなわけにはいかなかったのだろう。

 しかし、その一方では、ゲームミュージックという新たなマーケットの開拓を目指し、他のレコード会社が参入してくることとなる。
 他社はGMOが取り上げていないゲームやメーカー、またGMOのテリトリーにないパソコンや家庭用ゲーム機の音楽に的を絞り、独自の勢力を築き上げていった。やがて、これがゲームミュージックのレコード化に新たな潮流を生み出していくことになるのである。

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【3】1986年のゲームミュージック

 1986年は、ゲームミュージックにとって大きな飛躍となった年だ。
 その要因は、大きく3つ挙げられる。

(1)GMOレーベルが創立、ゲームミュージックのアルバムが続々リリース
 『VIDEO GAME MUSIC』に始まるゲームミュージック・アルバムを世に送り出したアルファレコードに、「GMOレーベル」が設立。第1弾『ファミコン・ミュージック』から、続々とゲームミュージックのアルバムが販売された。そのラインナップは、86年に限っただけでも

 ●コナミ・ゲーム・ミュージックVOL.1(6/25)
 ●カプコン・ゲーム・ミュージックVOL.1(8/25)
 ●コナミ・ゲーム・ミュージックVOL.2(9/10)
 ●テクモ・ゲーム・ミュージックVOL.1(9/25)
 ●セガ・ゲーム・ミュージックVOL.1(12/21)

 …と、かなりのハイペースでアルバムがリリースされている(ちなみにナムコとタイトーのアルバムは翌年発売)。
 中でもセガは、当時のマニアからレコード化が待ち望まれていたメーカーと言える。他メーカーのアルバムでは、収録タイトルを新旧取り混ぜて多めに取っていたのに対し、『セガ・ゲーム・ミュージックVOL.1』では『アウトラン』『スペースハリアー』『アレックスキッドのミラクルワールド』のみに絞り、代わりに曲をほぼフルバージョンで収録するほどのこだわりようだった。

(2)『スーパーマリオブラザーズ』の大ヒットによる企画物レコードのラッシュ
 前年9月に発売された同名ファミコン用ソフトは、息の長い大ヒットを飛ばし、加えて86年には続編の『…2』もディスクシステム用ソフトとしてリリースされた。つまり、85~86年にかけて、テレビゲームと言えば一般的には『スーパーマリオ』とほぼイコールだったわけである(さらに86年には、『ドラゴンクエスト』も発売されている)。
 そして、子供はもちろん大人にまで幅広い人気を獲得したこと、さらに『スーパーマリオ』自身が良質のゲームミュージックを持っていたことで、いわゆる「企画物レコード」がいくつか出されることになった。前述の『ファミコン・ミュージック』も、ジャケットに入っている画面写真は『スーパーマリオ』のものであることを考えると、GMOレーベル設立もこの波に乗じたものだと考えられる。つまり、『スーパーマリオ』の大ヒットが、間接的にゲームミュージックのレコードを市場が受け入れる土壌を作ったことになったと言っていいだろう。

(3)雑誌「BeeP」付録ソノシートの登場
 『VIDEO GAME MUSIC』を筆頭に、これまでレコード化されてきたゲームミュージックは、奇しくもPSG音源による曲が主体であった。しかし、この頃アーケードゲームにおいてはFM音源およびPCMが普及してきており、表現力の高まりがゲームミュージックに音楽としての主張を与え始めていた時期でもあった。
 そんな中、かねてよりセガ情報に注力してきた雑誌「BeeP」の86年11月号において、ソノシート「セガ・ゲームミュージック ソノシート」が付録としてついてきた。収録されたタイトルは『スペースハリアー』『カルテット』『ハングオン』『ファンタジーゾーン』の4作。いずれもセガのFM音源黎明期の名曲である。
 これに針を落とした瞬間、別次元の世界に連れて行かれたという人も多いだろう。

 管理人個人の話をすれば、この中で聴いたことがあったのは『ハングオン』と『ファンタジーゾーン』だけだった。前者は実際にゲームを遊んだとき、聞こえてくるベースがなんだか本物っぽいなぁ、と朧気ながら感じていたし、後者は『アウトラン』と並んで音楽が当時すでに話題となっていた。
 しかし、いずれにせよゲームセンターという空間では、それらの楽曲を満足な状態で聴くことが難しく、なんとなく「いい曲なんだろうなぁ」で終わってしまっていた。
 それがあのソノシートを聴いた瞬間、ノイズ混じりながら曲の全貌を知り、まさにカルチャーショックを受けてしまったのだ。当時まだ実機を見たことがなかった『スペースハリアー』『カルテット』ではさらに衝撃を受け、「ゲームミュージックはこんなことになっていたのか!」と思っていたのである。
 逆に言えば、当時のBeeP誌のスタッフにとってもこれらを何らかの方法で形に残し、世に広めたかったのだろう。それだけのインパクトを、これらの曲は放っていたのだ。そして、このソノシートでゲームミュージック・マニアになってしまった人も少なくない。

 こうした要因が重なり、1986年は一気にゲームミュージックの市場が拓けた年となった。
 ほかにも、この年の3月にはビクター音楽産業(当時)より、企画物レコードの一種『ビデオ・ゲーム・グラフィティ』が登場。さまざまな企画を盛り込んだアレンジアルバムとして、その完成度は高い。また、同年アポロン音楽工業(当時)に「コンピュージック」レーベルが発足し、『組曲 ドラゴンクエスト』や『オリジナル・サウンド・オブ・沙羅曼蛇』といったゲームミュージック関連の作品をリリース。
 まさしく1986年は、ゲームミュージックにとっての夜明けとなった年と言えよう。

 そして時代は、さらに進化のスピードを速め、短期間で幾たびもの激しい新陳代謝を繰り返しながら成長していくことになるのだ。

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