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【10】誰が為にゲームミュージックはアレンジされる

 ここ最近は80年代終盤についての記事ばかり掲載してきたが、ここで時計の針をいったんゲームミュージックの創生期、1984年頃に戻したい。

 さて、ゲームミュージックには他の音楽にはない、独自の言い回しがある。それが「オリジナルバージョン」「アレンジバージョン」というものだ。「オリジナルバージョン」とはゲーム中に流れる音楽そのものを指し、「アレンジバージョン」とはその楽曲を別の音源でカバーすることを表す。
 そもそも、創生期のゲームミュージックに使われた“楽器”はナムコのカスタム音源であり、さらにはPSGやFM音源などが音を鳴らす源であった。これらは当時の技術的問題もあり、機能に大変な制約があった。PSGやカスタム音源の音色は、まさに電子音と呼ぶにふさわしいものがあり、その後FM音源になって擬似的に一般的な楽器の音が再現できるようになったものの、それもあくまで擬似的な音でしかない。この辺の説明は、世の中にはもっともっと詳しいサイトがあるだろうので、そちらを参照されたい。
 ともあれ、そうした音色の貧弱さから、シンセサイザーなどでゲームミュージックをカバーした「アレンジバージョン」という手法が、当時発明されたのだろう。

 記念すべき最初のゲームミュージック・アルバム『VIDEO GAME MUSIC』は、日本におけるテクノの旗手・YMOの元リーダー、細野晴臣のプロデュース。オリジナルバージョンのほか、「XEVIOUS」「GALAGA」では独自のアレンジが施され、純粋なサウンドトラックからは微妙に軸をズラした作品に仕上がった。当時はあくまで、“細野晴臣が手がける次世代の電子音楽”といったニュアンスの作品だったのだ。
 次の『SUPER XEVIOUS』は、完全に細野が自ら編曲した作品で、このレコードこそが“アレンジバージョン”の始祖、と言えるだろう。さらに『THE RETURN OF VIDEO GAME MUSIC』は、細野こそ関わっていないもののゲルニカの上野耕路らが参加しており、A面をオリジナルサウンド中心(ただし1曲目の「FANFARE FROM POLE POSITION II」のみアレンジ曲)、B面はナムコのサウンドクリエイターらによるオリジナル曲、という変わった体裁が採られた(しかも上野のオリジナル曲まで収録されている)。
 このように、初期三部作の時から、すでにゲームミュージックはアレンジバージョンとともにあった。ただし、そこに細野や上野の「アーティストとしての主張」も一枚噛んでいた点には、留意すべきである。当時はいずれも、まだ純然たるゲームミュージックのサントラではなかったのだ。

 その後、GMOレーベルが発足し、ゲームミュージックのサントラ作品が毎月安定してリリースされるようになる。このGMOのアルバムにもアレンジ曲が収録されることが多く、他社のゲームミュージック・アルバムもそれに倣うことで、オリジナル曲+数曲のアレンジ曲というスタンスが浸透していった。
 また、家庭用ゲーム機やパソコンのゲームミュージックになると、アレンジの割合はさらに高まる。購買層がマニアのみにとどまらない『スーパーマリオブラザーズ』や『ドラゴンクエスト』関連のアルバムでは、 アレンジされた曲がメインでオリジナルはオマケ…というスタイルも珍しくなかった。中には『オリジナル・サウンド・オブ・シルフィード』などのように、アレンジバージョンしか収録されていない作品すら存在した。アーケードが主体のGMOのアルバムでも、その中に家庭用ゲーム機の曲を 、アレンジバージョンのみで収録していることも多い。
 これは当時、家庭用ゲーム機やパソコンの音源が、アーケード基板に比べまだまだ貧弱だったことが要因と言える。また、アーケードと違って「家で遊べるゲームのオリジナル曲は、その気になれば家でいつでも聴ける」という事情も、オリジナルの収録に水をさした一因だったのかもしれない。

 こうして、ゲームミュージックにおいてアレンジバージョンが切っても切れない関係になりつつあった創生期だが、その実マニアの反応は様々であった。
 というのも、1曲でも多くオリジナルのゲームミュージックを聴きたいマニアにとって、アレンジ曲は本筋ではない副産物でしかない。それを入れるくらいなら他のゲームのオリジナルバージョンを入れろ、という声が一部マニアの本音だったのだ(【4】GMOレーベルの隆盛の中でも参照のこと)。

 そうなると、当時のゲームミュージックにおけるアレンジバージョンの存在意義とは、一体どこにあるのか。
 前述のように、チープな電子音がレコードとしてどれほどの需要があるのか、レコード会社にとって雲をつかむような話であった創生期には、そうした問題点を解消するために「チープな電子音ばかりではありませんよ」とのアピールに使われる役割があったと言える。リリースにこぎ着けるべく、“お上”を説得するための材料としての側面もあったことだろう。
 ただ、実際世に出てみると、アレンジに対する評価は賛否両論。オリジナル派は「“チープな電子音”も含めて曲を愛している」「ゲーセンではよく聞こえなかった曲をクリアに聴きたい」という信念を持ち、アレンジ派は「一介のゲーム音楽に翼を与え、枷から解き放つ魔法である」という期待を胸に抱いていた。ただ、レコード化の機会が極めて限られていた当時、オリジナル派はニューアルバムの発表があるたびに一喜一憂し、自分の好きなゲームの曲が収録されなかったときは、怒りの矛先をアレンジバージョンに向けざるを得なかったのも事実だ。
 当時のアレンジバージョンは、一体誰のためにあったのか。それはファンのためであるはずだし、ファンのためであらねばならない。しかし実情は、ファンとは異なる“世間”のために必要であったのかもしれない。

 だが、こうした情勢は80年代後半に様変わりすることになる。
 そのきっかけは1987年にあるのだが、これは次の記事で取り上げたい。

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