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【11】1987年、萌芽。

 1987年3月25日、アルファレコードGMOレーベルより、アルバム『コナミック・ゲーム・フリークス(コナミ・ゲーム・ミュージックVOL.3)』『カプコン・ゲーム・ミュージックVOL.2』が発売される。
 このアルバムのジャケットには、それぞれ見慣れないロゴが描かれていた。

“矩形波倶楽部”
“アルフ ライラ ワ ライラ”

 これはゲームのロゴではない。各メーカーのサウンドチームのロゴだった。
 このアルバムでは、両メーカーのサウンド開発スタッフ、つまりは作曲者自身が「コナミ矩形波倶楽部」「アルフ ライラ ワ ライラ」を名乗り、アーティスト名としてアルバムに表記している。おそらくゲームミュージックのアルバムとしては、作曲者がアーティストとしての名前を表記した最初期の作品ではないだろうか(逆に、「作曲者がアレンジした」ことがひとつのトピックになる事実からも、当時のアレンジがいかに作曲者の関わっていないものだったのか…という想像も付く)。
 そして、この両チームを筆頭に、この年――1987年は、ゲームミュージックの作曲者がアーティストとしての自己主張を始めた年と言える。

 6月25日には、アルバム『タイトー・ゲーム・ミュージックVOL.2』が発売。そのオビには、“ダライアス/ズンタタ”と書かれていた。これがタイトーのサウンドチーム、“ZUNTATA”のデビュー作品となる。余談だが、管理人は最初この「ズンタタ」が、何を意味するのかがわからなかった。『ダライアス』はゲームの名前なので、ほかに『ズンタタ』というゲームの曲が入っているのか、と思ってしまった。
 このアルバムでは、ZUNTATAが3曲のアレンジバージョンを手がけている(ほかにコンスタンス・タワーズが2曲を担当)。だが、このアレンジそのものの評価は、当時は芳しくなかった。今までのアレンジバージョンとあまり変わり映えのしない、悪く言えば平凡な仕上がりで、とりたてて印象に残らないというのが正直なところだろう。また、コンスタンス・タワーズのアレンジが原形をほとんど留めていない強烈なものだったことで、相対的に印象が薄れてしまったとも言える。

 一方、コンピュージックの『オリジナル・サウンド・オブ・WEC LE MANS 24』(1987年8月21日発売)では、ゲームを開発したコアランド(現・バンプレスト)のサウンドチームが“DNA be Rock's”を名乗り、ボーカルを取り入れたギターサウンドをアレンジとして収録していた(余談だが“DNA be Rock's”とは、コアランドのバンド→コアバンド→COREBANDをひっくり返した表記が由来となっている)。
 当時のアレンジバージョンは、シンセサイザーで曲を打ち込み直したものがほとんどで、それもあってか「グレードアップバージョン」という呼称もあったほどだ。しかし、そうした流れとは一線を画する尖ったサウンドは、一部マニアの耳に鋭く突き刺さった。

 そして、忘れてはならないのがセガ。
 この年の12月、池袋のサンシャインシティ・噴水広場にて、「アフターバーナー・パニック!」というイベントが行われた。当時、最先端の技術と圧倒的な迫力・スピード感で、ゲーマーはもとより一般人にも絶大な人気を誇ったゲーム『アフターバーナー』。そのイベントにおいて、セガのサウンドチームによる『アフターバーナー』のゲームミュージックのライブ演奏が行われたのだ。
 編成はキーボード×2、ギター、ベース。キーボードは『アフターバーナー』の作曲者であり、『スペースハリアー』『ファンタジーゾーン』『アウトラン』などでその才能を開花させていた“Hiro”と、『カルテット』や『SDI』で独自のセンスを発揮し、当時のマニアにスラップベースの洗礼を施した“ファンキーK.H.”。ギターは当時まだ名前が知られる前の“Mickey”であった。
 ライブは当時のレポートによると、シーケンサーのトラブルで途中から音が出なくなってしまった模様。時節柄、クリスマスソングも披露するなど、あくまでイベントの出し物としての色が強かったようだった。だが、このライブがひとつの契機となり、翌年に繋がることとなる。

 そもそもサウンド開発スタッフは、元々何らかの形で音楽をやってきた人がほとんどである。
 ある者は音大を卒業し、ある者はバンドでのメジャーデビューを諦め、そして就職先としてゲームメーカーを選び、職業としてゲームミュージックを作曲する道を歩んだ。
 しかし、音源の発達による表現力の高まりが、そして確実に裾野を広げつつあるその市場が、彼らスタッフにアーティストとしての“自覚”を萌芽させ、“欲”を持たせる誘い水となったのは、疑いようがない。
 そして翌88年、サイトロンレーベルから二大アーティストが登場する。それは、90年代のゲームミュージック発展期へのプロローグとなる、歴史的な出来事なのだった。

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【訂正】
 上記中、『コナミック・ゲーム・フリークス』を「作曲者がアーティストとしての名前を表記した最初の作品」と書いていたが、正しくは『カプコン・ゲーム・ミュージック(第一作もしくはVOL.2)』にて、カプコンのサウンドチーム「アルフ ライラ ワ ライラ」の名前が先に出ていた(VOL.1は未確認だが、少なくとも『コナミック・ゲーム・フリークス』と同日発売の『カプコン・ゲーム・ミュージックVOL.2』には「アルフ ライラ ワ ライラ」の名前が出ていた)。お詫びして訂正する。

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