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【12】両雄割拠――ZUNTATAとS.S.T.BAND

 1988年6月21日、サイトロンレーベル第1弾作品として発売された『NINJA WARRIORS -G.S.M.TAITO 1-/ZUNTATA』。アーティスト名としてZUNTATAの名が記されているのは、GMOレーベル時代に続き2作目である。
 収録曲は、『ダライアス』に継ぐ3画面筐体ゲーム第2弾の『ニンジャウォーリアーズ』、凝った演出が話題となったガンシューティング『オペレーションウルフ』、体感レーシング『フルスロットル』、名作『バブルボブル』の続編『レインボーアイランド』…。
 『ダライアス』に続くOGRワールド全開の『ニンジャウォーリアーズ』、隠し面の曲まで収録された『レインボーアイランド』などが、このアルバムの表向きのセールスポイントである。

 しかし、このアルバムには密かに爆弾が仕掛けてあった。
 それはZUNTATAによる『ニンジャウォーリアーズ』のアレンジバージョン、「DADDY MULK」
 フェードインしてくるのは、コンサート会場さながらの大歓声。やがて手拍子と「ズンタ!ズンタ!」というコールに迎えられて、「DADDY MULK」の演奏が始まる。途中の津軽三味線ソロに本物の三味線奏者が彩りを添え、演奏が終わると鳴りやまぬ大歓声が…。そう、ZUNTATAはこの曲で“仮想ライブバージョン”というアレンジを打ち出してきたのである。
 さらにライナーノーツには、このような趣旨のコメントが書かれていた。「いつか『ズンタ・コール』に包まれて、本当にライブをやってみたい」と。
 このアルバムを聴いた誰しもが、心に爆弾を仕掛けられてしまった。
 「いつかライブのステージで、ZUNTATAを観てみたい」という夢を。
 恐らく、前年のセガ・サウンドチームによるイベントでのライブ演奏(【11】1987年、萌芽。参照)に、触発されるものがあったのだろう。仮想ライブバージョンという形で禁断の果実を口にしてしまった以上、ファンもZUNTATAもその夢を止めることはできない。それはまさに“禁断”のアレンジだった。

 遅れて翌月、サイトロンより『GALAXY FORCE -G.S.M.SEGA 1-/S.S.T.BAND』がリリースされる。
 こちらはセガのバンド・S.S.T.BANDのデビュー作として、大きく宣伝された。当時ゲームミュージックの四番打者的存在であったセガにも、ZUNTATAや矩形波倶楽部のように、ついにバンドが誕生。前年のライブ演奏とあわせ、満を持しての登場にいやがおうにも期待は高まった(ただし、この時点ではどちらもバンドとしての体裁は整っておらず、このアルバムでも大部分が打ち込みによるアレンジにとどまっている)。

 その後、タイトーは同年11月21日に『究極TIGER -G.S.M.TAITO 2-』を発表するものの、これは半分は東亜プランのアルバムと言っていい内容で、ZUNTATAのクレジットもなかった。だが、翌89年3月21日発表の『SYVALION -G.S.M.TAITO 3-/ZUNTATA』で確固たる方向性を打ち出し、11月21日発表の『DARIUS II -G.S.M.TAITO 4-/ZUNTATA』において不動の人気を獲得する。とりわけ後者は、OGRが聖書を読みながら作曲したと語る『ダライアスII』と、mar.が内に秘めた反逆衝動を“夜”というテーマを得て爆発させた『ナイトストライカー』、どちらも凄まじい完成度の高さを誇る楽曲群であった。
 一方のセガは、88年12月21日にアルバム『POWER DRIFT & MEGA DRIVE -G.S.M.SEGA 2-/S.S.T.BAND』を発表。体感ゲーム最新作も含むアレンジを4曲収録したこともさることながら、何よりS.S.T.BANDのロゴマークと、アーティスト写真(いわゆる“アー写”)が公表されたことにより、いよいよバンドとしてのパブリックイメージが形成された作品となった。

 S.S.T.BANDは翌89年2月、ドラムなどの加入により、ようやくバンドとしての体裁を整える。そして、あくまでイベントの一環ながら、ついにS.S.T.BANDとしてステージに立ち待望のライブ活動を開始させたのだ。メンバーはセガ・サウンドチームのスタッフと外部ミュージシャンによって構成され、セガからはHiro(Key)とMickey(G)、外部からはHARRIER(Key)、GALAXY(G)、BURNER(B)、THUNDER(Dr)という編成(ちなみに、HARRIERの正体は前述のアルバムのアレンジャーだった松前公高)。外部ミュージシャンは全員セガの体感ゲームのタイトルをもじった名前になっているのがポイントだ。
 ステージでは全員がサングラスを掛け、統一されたコスチュームで一種異様な雰囲気を醸し出していた。これは当時、セガは基本的にゲームの開発スタッフを表に出さず、インタビューなどに際しても顔を隠し偽名を名乗らせていたため(他社からの引き抜き防止が理由と言われている)、その制約を逆手に取ったアピール方法なのかもしれない。しかし、それがバンドにミステリアスな雰囲気を与え、衣装と相まって近未来的な存在感を醸し出していた。
 そうしたライブ活動を経て、同年10月21日には3rdアルバム『SUPER SONIC TEAM -G.S.M.SEGA 3-/S.S.T.BAND』を発表。アレンジャーにCASIOPEAの野呂一生を迎え、本当の意味でバンドとして作り上げた作品は高い評価を受けた。さらに11月には、MZA有明(当時存在したライブハウス・ディスコ。現在は格闘技専用ホール「ディファ有明」)にて初の有料ライブを開催。『ドラゴンクエスト』のオーケストラコンサートなどの前例があるにせよ、「ゲームミュージック・バンドが有料コンサートを開催した」ことは、当時大きな話題となった。

 ZUNTATAとS.S.T.BANDは、まるで競い合うかのように急速に成長を遂げ、ともにファンを増やしていった。まさにこの時代における、ゲームミュージックの“両雄”と言えよう。
 この両雄、その魅力はそれぞれベクトルが異なる点が興味深い。かたやバンドとしてのグルーヴとロックにこだわり、ライブステージに表現の場を求め、燦々と熱い魅力を放った“動”のS.S.T.BAND。かたや一音に至るまで緻密にこだわり、作品としてのトータルの完成度に表現者としての在り方を求め、「完璧」という不到の頂にあえて歩き続ける、求道者然とした“静”のZUNTATA。
 プロ野球でいう長嶋と王、プロレスでいう馬場と猪木、F-1でいうセナとプロスト――そういった相反する、しかしどちらも途方もなく高い魅力を放つライバル同士。そんな関係に近かったのが、ZUNTATAとS.S.T.BANDだったのかもしれない。

【追記】
 89年10月発売のS.S.T.BAND3rd.アルバム、および11月のMZA有明ライブにおいては、メンバーに「獣王」というキーボーディストが加わっていた。しかし、S.S.T.BANDに加入したのはこの時かぎりで、以後全く姿を現していない。また、S.S.T.BANDが7人編成だったのも、この時だけである。

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