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【14】日本ファルコムの閃光

 80年代後半、ゲームミュージックのリーダーと言えばセガやタイトーなど、アーケードの大手メーカーを指すことが多かった。実際、バンド活動まで行うなど、アーケード・ゲームミュージックは空前の盛り上がりを見せていた時期でもある。
 しかし、この時期アーケードゲームとは異なる舞台で、一人気を吐いていたメーカーがある。
 それが日本ファルコムだ。同社はパソコンゲームしかリリースしていないものの、『イース』『ソーサリアン』などゲームそのもののヒットに恵まれたうえ、珠玉と呼ぶにふさわしい楽曲群を抱えていた。アーケードゲームや、ファミコンなど家庭用ゲーム機と比べると実際のプレイヤーの数は格段に落ちるが、それでも熱狂的な支持を集めていたのが日本ファルコムなのだ。

 以前の記事(【7】キングレコードの進出とコナミの選択参照)にて、キングレコードのファルコムレーベルについて少しだけ触れたが、実際の80年代におけるリリースはどんなものであったのか、振り返ってみよう。

 ●ミュージック・フロム・イース (1987/11/5)
 ●ミュージック・フロム・ソーサリアン (1988/4/21)
 ●ソーサリアン スーパーアレンジバージョン (1988/4/21)
 ●ミュージック・フロム・イースII (1988/6/21)
 ●ソーサリアン スーパーアレンジバージョンII (1988/9/21)
 ●交響曲イース (1988/11/5)
 ●ファルコムスペシャルボックス'89 (1988/12/5)
 ●ソーサリアン スーパーアレンジバージョンIII (1989/3/21)
 ●ミュージック・フロム・スタートレーダー (1989/4/21)
 ●交響曲ソーサリアン (1989/7/5)
 ●プラスミックスバージョン・フロム・イース、イースII、ソーサリアン&スタートレーダー (1989/8/21)
 ●ミュージック・フロム・イースIII ワンダラーズフロムイース (1989/10/21)
 ●ワンダラーズフロムイース スーパーアレンジバージョン (1989/10/21)
 ●ファルコムスペシャルボックス'90 (1989/12/21)

 このラインナップを見て気づいた方も多いと思うが、ひとつの作品に対するアルバム数が非常に多いのが、ファルコムレーベルの特徴とも言える。
 基本的に、ゲームは『イース』シリーズ3作と『ソーサリアン』シリーズ、『スタートレーダー』しか題材になってない。にもかかわらず、手を変え品を変えて多数のアルバムをリリースしているのだ。

 特筆すべきは、参加したミュージシャンの豪華さ。初期のアルバムのアレンジや「スーパーアレンジバージョン」などでは、「金子マリ&バックスバニー」や「SENSE OF WONDER」の活動で知られるキーボーディスト・難波弘之をアレンジャーに起用。特に『ソーサリアン スーパーアレンジバージョン』では、鳴瀬喜博(B)、そうる透(Dr)、つのだ☆ひろ(Dr)、村上“ポンタ”秀一(Dr)、Char(G)、北島健二(G)、井上大輔(Sax)…という、すさまじく豪奢な布陣を敷いてきた。
 一方、交響曲シリーズでは編曲に羽田健太郎を迎え、さらに年末発売のボックスセット『ファルコムスペシャルボックス』では、毎年豪華なゲスト(森口博子、Anthemなど)を迎えて、贅沢なアレンジを収録している。

 しかし、このような豪勢な活動の陰で、『イース』『ソーサリアン』といった日本ファルコムの代表曲を作曲した古代祐三が、88年にフリーになってしまう。
 元々古代は、パソコン雑誌「マイコンBASICマガジン」の投稿プログラムで名をはせ、その後同誌で“YK-2”のペンネームでライターとして活動。同誌を離れた後、アルバイトで日本ファルコムのゲームミュージックを作曲していた。幼少の頃より音楽教育を受けていたこともあり、前述の作品においてもアーケードゲームに大きく劣る音源ながら、ポップで華やかな楽曲群は篤い支持を集めた。当時から高い人気を誇っていた古代と、『イース』『ソーサリアン』シリーズのヒットは、切っても切れない間柄であるとしても過言ではない。

 そのため、日本ファルコムは以後、二つの壁を乗り越えるという試練を強いられることになってしまう。古代の穴を埋めるほどの音楽と、『イース』『ソーサリアン』シリーズを超えるヒット作を――。
 それが達せられたかどうかは、軽々しく評価できない。しかし、時代の趨勢も相まって、古代サウンド及び『イース』『ソーサリアン』シリーズの時代…80年代後半が、日本ファルコムの黄金期という声はやはり根強い。

 古代は日本ファルコムから離れた後、『ザ・スキーム』などで他社のゲームミュージックを手がけ始めると、1990年には自身の会社・エインシャントを設立。その後、ゲームプロデュースを手がけるなどするも、作曲者・コンポーザーとしての活動は今もって続き、現在も多数のファンを擁している。
 そして、アーケードのゲームミュージック・シーンとは交わることがないと思われていた日本ファルコムだが、90年代に入り、思わぬ形でシンクロしていくこととなる。それはまた後日述べたい。

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