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【11】TODを褒めよう――『ゼビウス』に続くもの

 『ゼビウス』の遠藤雅伸が、満を持して発表した作品第2弾。それが『ドルアーガの塔』だ。
 ゲームに新風を吹き込ませた黒船が放つ、次なる作品とはいかなるものか。『ゼビウス』に魅せられたファン達は、こぞって塔に挑み始める。
 ゲームは中世の騎士のようなキャラを動かして、塔を昇っていくゲーム。前作『ゼビウス』とはうって変わって、アクションゲームになっている。ボタンはわずか1個で、ジャンプも出来なければボタンの組み合わせで多彩な攻撃、という要素もない。

 最初の1~3階で、おおよそこのゲームの趣旨は理解できる。剣を出しながら敵に向かって歩くと、敵を倒せること。カギを取ってから扉に向かうと、その面がクリアできること。そして、敵を何匹か倒すと、宝箱が出現し、それを開けるとアイテムが手に入ること。
 だが、4階からは「敵を倒す」ことが宝箱出現のトリガーにならず、「カギを取らずに扉を通過する」という条件に変わる。マジシャンという見慣れぬ敵と相まって、このゲームがそう簡単に済むようなゲームではないことが、ここでわかってくる。
 そして階を進むにつれ、見慣れぬ敵が次から次へと現れる。呪文が炎に変わる緑色のマジシャン、いかにも強そうな黒い戦士、そして色が違うだけかと思いきや、突如呪文を吐いてくるスライム。敵の多種多様さに、底知れぬ奥の深さを肌で味わうことになる。
 さらに、宝箱の出し方も、徐々に一筋縄ではいかないものになってくる。とりわけ7階の「1階で取ったツルハシを壊す」というものは、半ば度胸試しに近く、13階の「途中で扉を通過しつつ敵を全滅させる」は、「扉を通過する」でも「敵を全滅させる」でもない、いわば複数の条件が絡み合ったものだ。
 そんな複雑怪奇な塔を、攻略情報を慎重に積み重ねつつ登っていく…『ドルアーガの塔』とは、そういうゲームだったのだ。

 このゲームを構成する柱は、大きく3種類に分けられる。
 ひとつは「アクションゲーム」。これは単純に、剣を出して敵を倒すことの爽快感を指す。また、剣を出してはいけない状況が存在するため、堪え忍ぶ鬱屈とそこからの解放が、爽快感を増幅させてくれる。さらに、そこに「宝箱を出現させるための条件をクリアする」という命題が与えられ、それが「戦略を練る」というゲームとしての“深み”を醸し出してくれるのだ。
 もうひとつは、「ロールプレイングゲーム」。階が進むにつれ、どんどん強くなっていく敵。それを、各種アイテムにより操作キャラクターを強化していき、その積み重ねによって困難を打破することで、今までとは異なる達成感が得られるわけだ。たまに上層階に序盤のザコ敵が出現することがあるが、これは強くなった操作キャラクターがザコ敵を一瞬にして屠ることで、自身が強くなったことを実感させるための配慮なのかもしれない。
 そして、最後のひとつは「謎解き」。各階で宝箱を出すための条件を探るための、いわば開発スタッフとの、ひいては遠藤雅伸との“知恵比べ”だ。

 この謎解きが、マニアにとっては大いなる試練と化した。前述の通り、序盤は宝箱の出し方もまだ素直なものだが、やがて意図的に試すにはハードルの高いもの、突拍子もない発想のものなどが設定されている。その調査や確定には、大変な手間と時間、そして莫大なゲーム料金を要した(これがプレイヤー間での情報交換を促し、初期のゲームサークルの礎となったのは有名)。
 しかも、取ったからといって意味のないアイテム、特定のアイテムを先に取らないと正しい結果とならないアイテム、ゲームクリアに必要不可欠なアイテムなど、その種類も千差万別。出し方も謎なら、アイテム自身の効果も謎であった。
 『ゼビウス』の場合、いわゆる隠しキャラであるソルやスペシャルフラッグは、その知識があればゲーム進行やハイスコア争いに有利になることこそあれ、ゲーム進行に「必須」というわけではなかった。ところが、この『ドルアーガの塔』では、そうした隠しキャラが「必須」なのである。隠しキャラの知識がなければ、ゴーストは壁をすり抜けるときにしか姿を見せず、壁も見えず、カギも扉も見えず、やがてはどんなに天運が味方しても、59階に立ちはだかる悪魔を倒すことは叶わない。まさに不条理きわまりないゲームなのだ。

 しかし、このゲームは高いインカムを稼ぎ出し、果ては当初予定の『マッピー』基板のROM交換では足らず、新たに基板を生産するまでに至った。遠藤曰く「ROM交換のC級作品」でしかないこの作品が、結果としてプレイヤーに多大なる支持を受けたのは何故か。
 それには、紛れもなく『ゼビウス』が世に与えた“遠藤雅伸作品”のイメージが貢献しているだろう。
 前作『ゼビウス』という作品は、ゲームの中には底知れない“世界”が秘められていることを、我々に教えてくれた。単なるキャラクターを動かして敵を倒して…という遊びの原則に留まらない、何かがそこにある。その「何か」が何であるか余人には窺い知れぬ、いわば“正体が見えないことの恐怖”が、プレイヤーを強く惹きつけた結果となったわけだ。
 そうした「実績」と、現に目の前の『ドルアーガの塔』で示されている数多の「謎」が、プレイヤーに『ゼビウス』と同等の(あるいは異質の)魅力に映ったと言えるだろう。それがどんなに不条理であったとしても、『ゼビウス』を経たプレイヤー達にとっては、「解き甲斐のある謎」になるわけだ。
 逆に言うと、『ゼビウス』より先に『ドルアーガの塔』が発表されていた場合、世の中はどうなっていたことだろうか。ナムコ黄金期の名声も、遠藤雅伸が後に独立に至ったのも、果てはバビロニアン・キャッスル・サーガの行方も、今とはずいぶん違ったことになっていたことだろう。それくらい『ゼビウス』という作品は、『ドルアーガの塔』の評価に大きな役割を果たしているとしても過言ではない。

 音楽グループのYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)は、かつて「テクノポリス」や「ライディーン」を収録したアルバム『ソリッド・ステート・サヴァイヴァー』が大ヒットを飛ばした。オリコン1位獲得、ミリオンセラー達成、日本レコード大賞アルバム賞受賞などを記録し、小学生にまで名が知られる存在となった。
 その後、ワールドツアーやライブアルバムなどを制作し、いずれも余勢を駆ってヒットを記録する。その一連の「実績」の後で、問題作とも言える『BGM』をリリースしたのだ。暗く重い雰囲気は、『ソリッド・ステート・サヴァイヴァー』に見られたわかりやすいポップさとは正反対とも言える内容だった。
 後にYMO作品で一、二を争う傑作とまで呼ばれるこの作品、リーダー・細野晴臣の弁によると「売れた後だからこそ、やりたいことができた」というもの。この「故意犯」とも言うべき発想、まさに『ドルアーガの塔』と重なるものがあると言えるのではないだろうか?
 結果としてゲームとしては特殊な作品になったものの、三部作で構成されたストーリーを世に出した時点で、まさに「やりたいことができた」と言える。『ゼビウス』で大いなる実績を手にした遠藤雅伸が、それを盾にして思うがままに創り上げたゲーム、それが『ドルアーガの塔』なのだ。

 さて、今回引き合いに『ゼビウス』を出したが、これもあくまで人気を集めたことの「切っ掛け」でしかない。
 『ドルアーガの塔』の魅力は、やはりその内容の先進性であり、過去に類を見ない仕掛けの数々である。それらは次回以降に述べていきたい。

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