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【12】TODを褒めよう――“ファンタジー”との遭遇

 IN ANOTHER TIME
  IN ANOTHER WORLD...

 『ドルアーガの塔』の、有名なストーリーの出だし部分である。なんとなく、映画『スター・ウォーズ』の有名な序文「A long time ago in a galaxy far,far away....」を想起させるが、デモ画面で表示されるわずか13行のストーリーに、当時のプレイヤーの誰もが魅入られ、さまざまに想像を膨らませたのは『スター・ウォーズ』と同じ…としても過言ではない。
 このゲームが今もなお根強い人気を誇っている大きな理由に、そのストーリーが挙げられるのは異論のないところだろう。

 当時公開されたストーリーは、大まかに書くとこのようになる。

 ――今とは別の時間、別の世界。人々は神を敬い、愛と戦いの女神・イシターに仕える巫女の信託により、王国は栄えていた。空の神アヌは天上界に“ブルー・クリスタル・ロッド”を置き、その輝きが愛と平和をもたらしていた。
 しかし、“ブルー・クリスタル・ロッド”を狙った帝国が王国に攻め入り、王国は壊滅。帝国は天上界の“ブルー・クリスタル・ロッド”に届くような塔を造りはじめ、塔が高くなるにつれ“ブルー・クリスタル・ロッド”の光が遮られ、王国にロッドの輝きが届かなくなってしまう。そして、女神イシターに封印されていた悪魔“ドルアーガ”が、復活を遂げてしまった。
 アヌ神は帝国を戒めるべく、雷を落として塔を崩落させる。そして、神々は人間を見限ってしまう。その隙にドルアーガは、その魔力で塔を修復し、天上界から“ブルー・クリスタル・ロッド”を盗み出し、塔の崩落で死んだ帝国軍の軍勢を、モンスターとして塔の中に放ち、“ブルー・クリスタル・ロッド”を封印して塔にたてこもった。
 王国の王子・ギル(ギルガメス)と、巫女・カイは恋人同士であった。ギルは奴隷となり、塔建造の人夫として働かされていたが、塔の崩落時に岩の下敷きとなってしまう。王国の再建を目指す二人を、唯一見守っていた女神・イシターは、カイに魔法のティアラを授け、ドルアーガを倒すために塔へ遣わせた。しかし、カイはドルアーガの魔力に屈し、捕らわれの身となってしまった。
 ギルはおおいに嘆いたが、その声を聞いたアヌ神は、ギルに勇気を力に変える黄金の鎧を授けた。ギルは、カイを救い、“ブルー・クリスタル・ロッド”を天上界に戻すため、ドルアーガの塔へ挑んで行く――

 この物語(実際にはもっと細かい)は、当時のナムコ発行の季刊誌「NG」に掲載され、のちにゲーム雑誌や攻略本でも紹介されることとなる。遠藤雅伸の前作となる『ゼビウス』において、シューティング・ゲームのバックボーンにSF小説「ファードラウト」を書き上げたことは、当時すでに話題となっていた。そして、この『ドルアーガの塔』においても、それまでのゲームとは比較にならないほど濃密な世界が詰め込まれていたのである。
 「お姫様がさらわれた。あなたは勇者になり、お姫様を助けよう」という、ありきたりな定型に到底収まりきらないストーリー。『ゼビウス』の世界に多くのプレーヤーが惹き込まれたのと同様に、その背景に広がる広大な世界に、またしても多くの人々が魅入られることとなったわけだ。

 また、このゲームのポスターが『ドルアーガの塔』という世界に惹き込むための、強烈な色香を放っていた。
 ジオラマ模型とイラストを組み合わせた、アメリカン・コミックスのようなデザインは、あのドット絵から想像を膨らませるに十分過ぎるほどの燃料となった。とりわけ、ポスターの左下で救いを待つカイのイラストに、どれだけ多くのプレイヤーが奮い立たされただろうか。さらに、さりげなくゲームの進行方法が学べるようになっているなど、単なるゲームの告知に留まらない洗練された優れたデザインが、ひときわ異彩を放っていた。なお同デザインは、ナムコ製グッズの下敷きやポストカードにも使われ、ナムコ直営店にてリーズナブルな価格で販売されていた(また前述のNG誌でも通信販売を行っていた)。
 さらに、ポスターの右下に何気なく書かれた文字「TO BE CONTINUED」…これは「つづく」という意味。つまり、このゲームはこれで終わりではない、やがて何らかの形で続きがある…それはゲームとしての続編かもしれないし、小説など他のメディアに場を移すのかもしれない。あるいは…という風に、わずか十数文字の言葉に、プレイヤー達はさまざまな可能性を議論し、夢を膨らませた。

 そして、この物語は多くのプレイヤーにとって、“ファンタジー”という世界に触れる端緒ともなっている。1984年当時、いわゆる「剣と魔法の世界」を舞台にしたゲーム『ウィザードリィ』『ウルティマ』『ダンジョンズ&ドラゴンズ』などは、日本でもプレイされてはいた。しかし、それらはごく一部の限られた趣味人による、極めてマニアックな遊びに留まっていた。「剣と魔法の世界」は西洋のおとぎ話でしかなく、『ロード・オブ・ザ・リング(指輪物語)』も今とは比べものにならないほどマイナーな存在に過ぎなかった。
 そこに遠藤雅伸が、バビロニア神話を元に西洋ファンタジーのテイストを存分に盛り込んだ、独自の設定による“ファンタジー”を構築。それは当時のプレイヤーたちに、ギリシャ神話とも異なる幻想的な世界を垣間見せ、カルチャーショックを与えた。それは後に続編でさらなるストーリーが紡がれ、“バビロニアン・キャッスル・サーガ”という神話となり、多くの人々に篤い支持を受けた。その一人が、同シリーズを「『ロード・オブ・ザ・リング』のように、100年後までも語り継がれるような作品になる可能性がある」とまで絶賛するGDH社長・石川真一郎であり、“バビロニアン・キャッスル・サーガ”の正当な続編という触れ込みだったアニメ『ドルアーガの塔 ~the Aegis of URUK~』の脚本を努めたものの、「AoUはやっぱり正史じゃなくて、DoGから派生したパラレルなストーリーのひとつ。自分も『ドルアーガの塔』のファンだから、そうでなければ荷が重くて書けない」と吐露した賀東招二である。
 つまり、2008年という世の中に、原典の発表からじつに24年後もの歳月を経て、地上波アニメというメディアに至ったのは、その練り上げられたストーリーや世界に由るところが大きいと言えるだろう。

 『ドルアーガの塔』が世に出てから、来年には四半世紀を迎える。
 忘れ去られたゲーム、「名作だったなぁ」としみじみ振り返るゲームは数あれど、『ドルアーガの塔』はもうすぐ25年が経とうとしているのに、来年早々アニメの第二期『ドルアーガの塔 ~the Sword of URUK~』の放映が決定している。
 もちろん、24年前からの熱狂的なファンは、今もってこのゲームを、深く愛し続けている。
 こんな作品、そうはないだろう。

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【11】TODを褒めよう――『ゼビウス』に続くもの

 『ゼビウス』の遠藤雅伸が、満を持して発表した作品第2弾。それが『ドルアーガの塔』だ。
 ゲームに新風を吹き込ませた黒船が放つ、次なる作品とはいかなるものか。『ゼビウス』に魅せられたファン達は、こぞって塔に挑み始める。
 ゲームは中世の騎士のようなキャラを動かして、塔を昇っていくゲーム。前作『ゼビウス』とはうって変わって、アクションゲームになっている。ボタンはわずか1個で、ジャンプも出来なければボタンの組み合わせで多彩な攻撃、という要素もない。

 最初の1~3階で、おおよそこのゲームの趣旨は理解できる。剣を出しながら敵に向かって歩くと、敵を倒せること。カギを取ってから扉に向かうと、その面がクリアできること。そして、敵を何匹か倒すと、宝箱が出現し、それを開けるとアイテムが手に入ること。
 だが、4階からは「敵を倒す」ことが宝箱出現のトリガーにならず、「カギを取らずに扉を通過する」という条件に変わる。マジシャンという見慣れぬ敵と相まって、このゲームがそう簡単に済むようなゲームではないことが、ここでわかってくる。
 そして階を進むにつれ、見慣れぬ敵が次から次へと現れる。呪文が炎に変わる緑色のマジシャン、いかにも強そうな黒い戦士、そして色が違うだけかと思いきや、突如呪文を吐いてくるスライム。敵の多種多様さに、底知れぬ奥の深さを肌で味わうことになる。
 さらに、宝箱の出し方も、徐々に一筋縄ではいかないものになってくる。とりわけ7階の「1階で取ったツルハシを壊す」というものは、半ば度胸試しに近く、13階の「途中で扉を通過しつつ敵を全滅させる」は、「扉を通過する」でも「敵を全滅させる」でもない、いわば複数の条件が絡み合ったものだ。
 そんな複雑怪奇な塔を、攻略情報を慎重に積み重ねつつ登っていく…『ドルアーガの塔』とは、そういうゲームだったのだ。

 このゲームを構成する柱は、大きく3種類に分けられる。
 ひとつは「アクションゲーム」。これは単純に、剣を出して敵を倒すことの爽快感を指す。また、剣を出してはいけない状況が存在するため、堪え忍ぶ鬱屈とそこからの解放が、爽快感を増幅させてくれる。さらに、そこに「宝箱を出現させるための条件をクリアする」という命題が与えられ、それが「戦略を練る」というゲームとしての“深み”を醸し出してくれるのだ。
 もうひとつは、「ロールプレイングゲーム」。階が進むにつれ、どんどん強くなっていく敵。それを、各種アイテムにより操作キャラクターを強化していき、その積み重ねによって困難を打破することで、今までとは異なる達成感が得られるわけだ。たまに上層階に序盤のザコ敵が出現することがあるが、これは強くなった操作キャラクターがザコ敵を一瞬にして屠ることで、自身が強くなったことを実感させるための配慮なのかもしれない。
 そして、最後のひとつは「謎解き」。各階で宝箱を出すための条件を探るための、いわば開発スタッフとの、ひいては遠藤雅伸との“知恵比べ”だ。

 この謎解きが、マニアにとっては大いなる試練と化した。前述の通り、序盤は宝箱の出し方もまだ素直なものだが、やがて意図的に試すにはハードルの高いもの、突拍子もない発想のものなどが設定されている。その調査や確定には、大変な手間と時間、そして莫大なゲーム料金を要した(これがプレイヤー間での情報交換を促し、初期のゲームサークルの礎となったのは有名)。
 しかも、取ったからといって意味のないアイテム、特定のアイテムを先に取らないと正しい結果とならないアイテム、ゲームクリアに必要不可欠なアイテムなど、その種類も千差万別。出し方も謎なら、アイテム自身の効果も謎であった。
 『ゼビウス』の場合、いわゆる隠しキャラであるソルやスペシャルフラッグは、その知識があればゲーム進行やハイスコア争いに有利になることこそあれ、ゲーム進行に「必須」というわけではなかった。ところが、この『ドルアーガの塔』では、そうした隠しキャラが「必須」なのである。隠しキャラの知識がなければ、ゴーストは壁をすり抜けるときにしか姿を見せず、壁も見えず、カギも扉も見えず、やがてはどんなに天運が味方しても、59階に立ちはだかる悪魔を倒すことは叶わない。まさに不条理きわまりないゲームなのだ。

 しかし、このゲームは高いインカムを稼ぎ出し、果ては当初予定の『マッピー』基板のROM交換では足らず、新たに基板を生産するまでに至った。遠藤曰く「ROM交換のC級作品」でしかないこの作品が、結果としてプレイヤーに多大なる支持を受けたのは何故か。
 それには、紛れもなく『ゼビウス』が世に与えた“遠藤雅伸作品”のイメージが貢献しているだろう。
 前作『ゼビウス』という作品は、ゲームの中には底知れない“世界”が秘められていることを、我々に教えてくれた。単なるキャラクターを動かして敵を倒して…という遊びの原則に留まらない、何かがそこにある。その「何か」が何であるか余人には窺い知れぬ、いわば“正体が見えないことの恐怖”が、プレイヤーを強く惹きつけた結果となったわけだ。
 そうした「実績」と、現に目の前の『ドルアーガの塔』で示されている数多の「謎」が、プレイヤーに『ゼビウス』と同等の(あるいは異質の)魅力に映ったと言えるだろう。それがどんなに不条理であったとしても、『ゼビウス』を経たプレイヤー達にとっては、「解き甲斐のある謎」になるわけだ。
 逆に言うと、『ゼビウス』より先に『ドルアーガの塔』が発表されていた場合、世の中はどうなっていたことだろうか。ナムコ黄金期の名声も、遠藤雅伸が後に独立に至ったのも、果てはバビロニアン・キャッスル・サーガの行方も、今とはずいぶん違ったことになっていたことだろう。それくらい『ゼビウス』という作品は、『ドルアーガの塔』の評価に大きな役割を果たしているとしても過言ではない。

 音楽グループのYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)は、かつて「テクノポリス」や「ライディーン」を収録したアルバム『ソリッド・ステート・サヴァイヴァー』が大ヒットを飛ばした。オリコン1位獲得、ミリオンセラー達成、日本レコード大賞アルバム賞受賞などを記録し、小学生にまで名が知られる存在となった。
 その後、ワールドツアーやライブアルバムなどを制作し、いずれも余勢を駆ってヒットを記録する。その一連の「実績」の後で、問題作とも言える『BGM』をリリースしたのだ。暗く重い雰囲気は、『ソリッド・ステート・サヴァイヴァー』に見られたわかりやすいポップさとは正反対とも言える内容だった。
 後にYMO作品で一、二を争う傑作とまで呼ばれるこの作品、リーダー・細野晴臣の弁によると「売れた後だからこそ、やりたいことができた」というもの。この「故意犯」とも言うべき発想、まさに『ドルアーガの塔』と重なるものがあると言えるのではないだろうか?
 結果としてゲームとしては特殊な作品になったものの、三部作で構成されたストーリーを世に出した時点で、まさに「やりたいことができた」と言える。『ゼビウス』で大いなる実績を手にした遠藤雅伸が、それを盾にして思うがままに創り上げたゲーム、それが『ドルアーガの塔』なのだ。

 さて、今回引き合いに『ゼビウス』を出したが、これもあくまで人気を集めたことの「切っ掛け」でしかない。
 『ドルアーガの塔』の魅力は、やはりその内容の先進性であり、過去に類を見ない仕掛けの数々である。それらは次回以降に述べていきたい。

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【10】TODを褒めよう――その前に遠藤雅伸を褒めよう!

 前回、『ドルアーガの塔』を褒め称えるために、どうしても避けて通ることのできない『ゼビウス』を褒め称えた。
 なぜ避けて通ることが出来ないのかはさておき。今回は“創造主”とも言うべき、遠藤雅伸について書いてみる。

 遠藤雅伸は1981年ナムコに入社。当時開発中だったシューティングゲームのプロジェクトを引き継ぎ、1983年に『ゼビウス』として世に送り出した。驚くことにゲームはこれが処女作で、それでありながら当時世の中に与えたカルチャーショックは、多大なものがあった。
 『スペースインベーダー』ブームの収束以後、風営法の改正もあってゲームが世間の耳目を集める機会は数少なくなっていったが、そんな中で『ゼビウス』が果たした役割は大きい。「新人類」と当時呼ばれた、旧来の既成概念に囚われない若者が増えたこと、また世がいわゆる“マイコンブーム”を迎えており、コンピュータという存在が身近になってきていたという下地もある。だが、この作品の想像を超えるエポックメイキングぶりが、世の中の注目を集める直接的な原因であったことは、間違いない。
 例えば、NHK教育の若者向け深夜番組『YOU』(司会:糸井重里)をはじめ、各テレビ番組に『ゼビウス』とともに「ゲームデザイナー」遠藤雅伸が出演。当時は“新人類の旗手”とまで呼ばれ、その発想や発言はインタビューやコラムを通じて広まり、話題を呼んでいた。さらに、当時大人気を誇っていた音楽グループ・YMOのリーダー、細野晴臣との交友も生まれるなど、80年代の文化に与えた影響は少なくない。細野は後にナムコゲームの楽曲を集めたアルバム『ビデオ・ゲーム・ミュージック』をプロデュースし、それがゲーム音楽のアルバム化の嚆矢となったわけだから、この分野も大元をたどれば遠藤および『ゼビウス』が発端となったわけだ。
 後日、ナムコを退社し独立してからは、いよいよ多方面にわたり活躍。ファミコン用ソフト『機動戦士Zガンダム ホットスクランブル』では、「遠藤雅伸、Zガンダムに命を吹き込む」というキャッチコピーとともに、本人がひたすらプログラミングを続けるという内容のテレビCMまで放映された(つまり、当時は「Zガンダム」のブランドと「遠藤雅伸」のブランドは、少なくともゲームプレイヤーに対しては双璧と考えられていたと言えよう)。またゲーム・ミュージックのアルバム『ハドソン・ゲーム・ミュージック』ではピアノを弾き、アニメ雑誌などでインタビューや対談が掲載されるなど、多方面にわたる活躍を見せていた。

 ただし、当然のことながらあれだけの作品を、全て一人で作り上げたわけではない。
 多くの人々のアイディアや助けを借り、『ゼビウス』が出来上がったことは、言うまでもない。細野との交友も、前衛音楽を得意とする慶野由利子(代表曲『ディグダグ』『フォゾン』『ドラゴンバスター』etc.)によるあの優れたBGMがなければ、ひょっとしたら生まれていなかったかもしれない。「多くのスタッフを代表しているだけです」とは、かつて某巨大掲示板での本人の弁である。
 しかし、やはりその核心を創り上げたのは、紛れもなく遠藤である。その異才ぶりは、これまでのインタビューや掲示板での本人のコメントを見れば、一目瞭然であろう。単なるSFマニアやプロジェクトマネージャーではないのだ。

 また、ゲームの制作者が、ここまで各メディアに露出し、その言動が注目されたことは、未だかつてないことであった。『スペースインベーダー』の西角友宏、『パックマン』の岩谷徹など、当時の世間一般にも名が知られたゲームの開発者は、まったくもって知られていなかったのだ。もちろん、それらのゲームが発売された時期とは状況が違っていたのかもしれないが、それでも“ゲームデザイナー”という肩書きを名乗り、ゲームを作る側に目を向けさせた功績は大きい。
 この後、『ドラゴンクエスト』を大ヒットさせた堀井雄二や、ビッグマウスぶりで話題を集めた飯野賢治、“スーパーマリオ”の生みの親・宮本茂など、単体でも名が広く知られるゲームデザイナーは増えていった。だが、そのパイオニアと言えば、間違いなく遠藤雅伸になる。
 このように、ゲームのみならずその周辺においても、『ゼビウス』、ひいては遠藤雅伸がもたらした影響は、計り知れない。これが今もって、遠藤が多方面から多大なるリスペクトを集め続けている要因のひとつだろう。

 ゲームデザイナーとして一躍名を上げたとなると、必然的に次回作に注目が集まる。
 その頃の遠藤本人の状況は、邪神の啓示に詳しいが、次なるCPUへの対応のため勉強がてらゲームを試作しつつ、当時頭に浮かんでいた壮大な三部作ストーリーを纏めていた。
 プロトタイプであった作品を見た上司から製品化を打診されるも、ストーリーを三部作の最初から見せたいとした遠藤は第一作目の制作を提案。結果的にはそちらでゴーサインが出る。
 当時インカムが落ちていた『マッピー』の基板を用い、世に出回っていた基板2000枚のROMのみを差し替えることで、生産コストを下げるという手法を考案。さらに早くからアイディアが固まっていたためか、開発は驚くほどスムースに進み、わずか半年で遠藤雅伸の“次回作”は完成した。

 それが、『ドルアーガの塔』である。

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