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【13】TODを褒めよう――アクションゲームとしての評価

 これまでの記事では、ゲームのストーリーや開発者・遠藤雅伸について触れてきた。反面、ゲームそのものについての説明は、どちらかというとないがしろになっていたかもしれない。
 もちろんテレビゲームである以上、肝心のゲーム自身に魅力がなければ、名作にはなり得ない。
 そこで今回は、『ドルアーガの塔』のゲームシステムについて触れてみる。

 このゲームのアクション面における特徴は、以下の3つが挙げられる。

●通常時は正面からの呪文を受ける(=無効化する)ことができるが、敵との接触がミスとなってしまう(一部例外あり)
●抜刀時は敵にダメージを与えることが可能になるが、正面からの呪文を受けられなくなる(ギルの左側からの呪文は受けることが可能)
●主人公(ギル)や敵にはHP(ヒットポイント)が設定されている

 上記二つは、「剣を抜くと正面で呪文が受けられず、剣を納めると敵の体当たりに耐えられない」という、一長一短の相反する状態を生み出してしまう。この双方の状態におけるメリットとデメリットは、じつは遠藤雅伸が意図的に入れたもの。「二律背反」による制限が、このゲームにおける一種のもどかしさ、メリハリにつながっているわけだ。
 HP(ヒットポイント)については、ギルにも敵にも設定されているが、それらは目には見えない。なぜ目に見えるよう表示されないのかというと、当時まだHPという概念、ひいてはRPGというゲームの概念が、日本国内においてはほとんど知られていなかったため。いきなりHPという数値を出してもユーザーが混乱するから、というのが遠藤本人の弁だ。たしかに当時の技術力から考えると、わかりやすい表現で各キャラクターのHPを明示させることは、不可能に近いだろう(ちなみに“耐久力のある敵”という概念自体は、同じナムコが1981年に発売した『ギャラガ』などですでに確立している)。よって、プレイヤーは何度もプレイを重ね、その経験をもって危険な水準を推し量ってきた。これが逆に、ゲームにおけるスリルにつながっているのは、ある意味偶然の産物かもしれない。
 また、そのHPというパラメータが、「剣で相手を斬りつけてダメージを与える」のではなく、「剣を構えて交錯することでダメージを与える」という、独特なアクションの源となっている点も見逃せないところだ。安全地帯から一方的に攻撃するのではなく、その身を危険にさらし、自身のHPと引き替えに相手のHPを減らすというアクションは、目に見えないHPとあわせて戦いを非常にスリリングなものにした。

 こうした要素の組みあわせが、『ドルアーガの塔』に唯一無二とも言うべき独自のアクションを成立させていると言えよう。
 例えばマジシャン相手の時は、先に呪文を受けてから剣を抜いて倒す。ゴースト系が相手の時は、敵が往復する通路まで追いこみ、その横から半身だけ乗り出して、敵が勝手に斬られるに任せる。スペルを吐く敵とナイトが混在するフロアでは、ナイトと交戦中にスペルを吐かれないよう、スペルを吐く敵を先に倒したりナイトと交戦する場所を吟味したりする…こうした対処法を身につけ、場面に応じて使いわけていくことが、このゲームにおける“戦略”となるわけだ。
 あるいはナイトとローパーがいる階。ローパーは剣を納めたまま通過すると、絶対に死ぬことはないがヒットポイントが最低の値まで減らされる。だが、その状態では以後ナイトとは一切戦うことが出来ない。リスクを承知でローパーに剣を突き立てるか、扉まで徹底的にナイトとの遭遇を避け、あえてローパーにその身をさらすか…こうした戦略と、そこに生まれる葛藤。これこそが、このゲームの醍醐味と言えるだろう。

 ほかにも、剣を抜いた状態ではギルの左側面で呪文を受けられる、という要素も特徴的で、ここにプレイヤーのテクニックが介在する余地が作られている。さらにはファイアー・エレメント(ドルイドの呪文が作り出す炎)にギリギリまで近づいて剣を振ると、エレメントを消すことができるなど、細かい部分にまでさりげなく気が配られているのだ。

 とはいえ、このゲームのアクションを構成する要素がこれだけなら、じつは『ドルアーガの塔』は名作とはなり得ない。
 なぜなら、このゲームにおいて先の面(=次のフロア)に進むための条件が、扉を開けて先に進むことだからだ。「敵を倒す」ことが確固たるクリアの目的ではない以上、イヤな敵は極力避けて、カギを取っては扉に向かうことを繰り返せば、とくに敵とも戦わずに先へ先へと進むことができる。一応、「迷路を探索する」という遊びの要素も備わってはいるものの、それだけでは凡百なゲームに終わってしまっていただろう。
 これらの要素をすべて活性化させたのが、「宝箱」の存在といえる。
 宝箱の中身は、カイを救出(=ゲームをクリア)する上では欠かすことができないものや、ゲームを進める上で有利になるもの(あるいは不利になるのを防ぐもの)が大半を占める。そうした宝箱は、余程のことがない限り出さざるを得ない。
 しかし、宝箱を出すには各階ごとに異なる条件を満たす必要がある。そのためには、野放図に敵を倒しまくったり、逆に逃げ回ってばかりいるのは禁物。時には敵を倒さずに我慢し、時には敵を利用し、そして時には少々のリスクを負う必要すらある。そうした各階ごとに異なる限定条件が、ゲームに独特の深みを与え、単なる迷路アクションゲームに留まらない妙趣を醸し出しているのだ。

 ストーリーやポスターなどから、自分(=ギル)の為すべきことは、「カイの救出」と理解できる。
 つまり、このゲームのプレイヤーはすべからく「カイの救出」を目指すことになり、そのためには「宝箱」を避けて通ることはできない(当時のゲームにおける価値基準だった「ハイスコア」に関しては、後日述べる)。よって「宝箱」を出すことを目指さないプレイは、ゲームクリアを目指さないプレイと同義である。
 …そんな部分にゲームのバランスと面白さを見いだしたのは、凄いと思う。良く言えば慧眼、悪く言えば危険きわまりない賭けだったろう。
 だが、結果的にこの「宝箱」の要素がなければ、すべては成り立たなかった。「宝箱」があったからこそ、『ドルアーガの塔』は名作アクションゲームたりえたのである。

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