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【15】TODを褒めよう――ゲーム・ミュージックの効能

 このゲームを支えた大きな魅力のひとつに、「音楽」が挙げられる。
 もとより、当時のナムコのゲームは、他社のゲームよりも「いい音」を出していた。1980年の『ラリーX』で世界初の“ゲームミュージック”を生みだし、また細野晴臣監修による世界初のゲームミュージック・アルバム『ビデオ・ゲーム・ミュージック』も、ナムコのゲームが題材となっている。それくらい、当時のナムコのゲーム音楽は優れており、一目を置かれる存在であった。

 当時のアーケードゲームにおいて、多く使われていたのは「PSG」と呼ばれる音源。これは基本的に3和音+ノイズという構成で、俗に言う「ピコピコサウンド」のイメージが強い(現在のチップチューンも、和音数はともあれ音色はPSGを意識したものが中心となっている)。
 しかし、ナムコはPSGとは異なる音源(カスタム音源と呼ばれることが多い)を用いており、これは最大8和音が出力できるというものであった。この性能を利したハーモニーは、当時のアーケードゲームにおいて際だった美しさを誇っており、それがナムコの作曲者陣の才能と相まって、レコード化に至るほどのクオリティを築き上げたわけだ。

 とはいえ、じつはナムコゲームのうちゲーム中にBGMを採用した作品は、それほど多くない。
 『ドルアーガの塔』の前年、1983年までのナムコゲームを分類してみると、以下のようになる。

●BGMあり
『ニューラリーX』『ディグダグ』『ゼビウス』『マッピー』『リブルラブル』
●BGMなし
『ワープ&ワープ』『ギャラガ』『ボスコニアン』『フォゾン』『ポールポジション』『スーパーパックマン』『パック&パル』『ポールポジションII』

 …分類が難しいものもあるが(『フォゾン』をBGMと呼ぶべきかどうか、etc.)、ファンファーレやゲームオーバー時の曲などをBGMに含まないと定義した場合、おおよそこのように分類されるだろう。
 こうして見ると、BGMのある作品が意外に少ないことがわかる。当時ゲーム・ミュージックとは、まだまだ珍しい存在だったのだ(ちなみに1983年当時の他社作品では、タイトー『エレベーターアクション』、アイレム『ジッピーレース』、コナミ『ジャイラス』などがBGMのある代表的ゲームと言えるだろう)。

 また、当時のBGMがついた作品群にしても、その曲数は決して多いものではなかった。上記分類中、『ゼビウス』はBGMが1種類しかなく、それ以外の4タイトルでもBGMは2種類まで(ちなみに『ドルアーガの塔』の直前にリリースされた『ギャプラス』では、特定の面のみBGMが付くため、「無音」と合わせると2種類と言えなくもない)。
 ただし、これは容量の都合や、それほど多くのBGMを必要としなかったという当時のゲーム内容もあわせて考えると、そう不思議な話ではない。なにせ、当時はBGMが付くことすら珍しいことであったのだから。

 そして、この『ドルアーガの塔』のBGM。
 フロアスタートの勇壮な序曲が流れたのち、力強いメインテーマが流れる。この時点で、ナムコゲームとしては『リブルラブル』に続く、常にBGMが鳴り続けるゲームとプレイヤーは認識するわけだ。
 ところが、階を進めて15階に入り、突如としてBGMが変化。迫力ある重低音のおどろおどろしい曲が、焦燥感を駆り立てる。果たして、その元凶たるクオックスの姿が見え、暴力的に吐き散らす紅蓮の炎に驚きと恐怖を覚える――初めて15階に来たプレイヤーなら、誰しもが同じような感覚を味わったことだろう。こうした演出に、BGMは大きく影響を及ぼしていることは間違いない。
 以後しばらく、通常のBGMとクオックス(他ドラゴン系)登場階のBGMの2種類で、ゲームは進行。これにより、BGMによってその階にドラゴン系モンスターがいるかいないか、という判断が付けられるようになっている。これもまたBGMの活用法としては前例のないものであろう。

 ところが、ゲームも大詰めの57階になって、さらに新しいBGMが流れる。それまでの勇ましいテーマ、不気味なドラゴン系のBGMとは異なる、美しい響き。そしてフロアには謎の物体(石)があり、それは鍵を取る前に扉を通過することで、見慣れぬ姿へと変貌する。カイと同じようなティアラをかぶり、ブルー・クリスタル・ロッドとおぼしき杖を持って、座っている謎の人影。綺麗なBGMと相まって、神々しい印象さえ持ってしまうところだが…これもまたBGMの成せる演出、と言えよう。
 迎えた59階では、またも新しいBGMが奏でられる。ドラゴン系の時以上に威圧的で恐ろしい響きは、最終決戦を彩るにふさわしい雰囲気を醸し出してくれる。そして60階で再び57階と同じBGMが流れ、そして…

 と、このように『ドルアーガの塔』では、ゲーム中のBGMが4種類もあり(しかもうち1曲は事実上“世界初のラストボス専用BGM”と言えるかもしれない)、さらにBGMを演出の一環として効果的に活用している。まだゲーム中のBGMが珍しかったこの時代に、ここまで先駆的な試みを行っていたことには、驚くより他はない。
 ナムコからは同年さらに『ドラゴンバスター』や『パックランド』が発売され、BGMの質と機能はますます洗練されていく。また他社もBGMに注目を始め、翌85年にはFM音源搭載のゲーム基板も登場。さらに家庭用ゲーム機・ファミリーコンピュータでは、1985年に『スーパーマリオブラザーズ』が大ヒットを記録し、そのBGMがプレイヤーの耳に深く刻み込まれることとなる。
 『ドルアーガの塔』はまさにその前夜、ゲーム・ミュージックの黎明期から大いなる発展を遂げる、重要な足がかりとなった作品と言えるだろう。

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【14】TODを褒めよう――RPGとしての評価

 このゲームは全60面(ゲーム中の表記は「FLOOR」、ファンの間では通常「階」と呼ばれる)構成である。
 今考えてみても、パズルゲームでもない限り全部で60面もあるゲームというのは、なかなかない。ましてやアーケードゲームにおいては、なおさらだ。対戦格闘ゲームに例えれば、「面」はCPUと戦う回数(人数)ということになる。60人も倒さなければならない格ゲーというのも、考えただけでどっと疲れが出るところだろう。
 しかし、『ドルアーガの塔』においてこの全60面というのは、じつはかなり理想的なボリュームなのだ。

 そもそも『ドルアーガの塔』が全60面という構成になったのは、遠藤雅伸本人が語ったところによると「当時、日本で一番高いビルが東京・池袋のサンシャイン60だったから」という理由から。話だけ聞くと、じつに他愛のない理由で決めたように思える。しかし、結果的にゲームとして冗長となるでもなく破綻するわけでもなかったことを考えると、これだけの理由で全60階にしたとは思えない。
 その答えのひとつが、このゲームが持つ“RPG的要素”にあると言えるだろう。
 ここでいう(そして俗に言わていれる)RPG的要素というのは、取りも直さず『ウルティマ』風であり『ウィザードリィ』風であり『ダンジョンズ&ドラゴンズ』風である、ということ。ただ、これは「中世風の世界で剣士が戦う」という狭い意味ではない。戦いの中でギルが数々のアイテムを発見し、それらを身につけることで「徐々に成長していく」点を指している。

 最初のうちは、壁を壊せるようになったり足が速くなったりと、あまり戦闘とは関係のない要素でギルの性能が向上していく。また、序盤で手に入る剣や盾、鎧などは直接ギルの強さには影響を及ぼさないものの、徐々にギル自身の姿が変化していき、視覚的にゲーム開始直後のギルとは何かが違っていることがわかる。
 やがて中盤にさしかかると、様々な装備を身につけることでギルは強くなっていく。それを実感できるのは、ある程度塔を登ったときにブルーナイトやドルイドゴーストといった、初期に遭遇するHPをある程度有した敵と戦うときだろう。具体的には、18階でドラゴンスレイヤーを手に入れる前と手に入れたあとでは、ドルイドゴーストを倒すのに要する交差の数が明らかに異なる。ここで、この剣を取ったことで、ギルが強くなったことが実感できるわけだ。
 さらには今まで悩まされていたファイアー・エレメントやウィル・オー・ウィスプが無効化されたり、クォックスなどのドラゴン系を足止めできたりと、しだいにギルの前に立ちはだかる障害は減っていく。やがてはドルアーガ討伐に必要なアイテムや、ギルの力を最強にするアイテムなどが手に入り、序盤の頃とは比較にならないほどの力を備えた戦士に成長を遂げる。

 こうした60にもおよぶ階層の中において、それぞれの階でアイテムが出現し、ギルを成長させていく(もちろん、中には成長と呼べないようなアイテムやマイナス効果のあるアイテムもあるし、アイテムそのものが存在しない階すらあるが)。
 極論すれば、これは“レベルが60まで上げられるRPGをプレイしているのと同じ事ではないだろうか?
 階を上がるごとにギルは成長し、やがて58階ぶんもの成長を積み重ねた状態でドルアーガと相対する。それまで積み重ねてきた経験と技術、そして成長したその身を以て、魔王を討伐し、愛しき人のもとにたどり着く。これこそ、まさしくRPG的展開と言えるだろう。

 また、当時のアーケードゲームとして一番風変わりな点が、「得点が重要視されていない」ことだ。
 これも当時の遠藤雅伸の回想なのだが、「得点に意味はない」と明言しており、「ゲームは得点を競うものだ!」と豪語するお偉いさん(当時の社長・中村雅哉氏ではないとのこと)を納得させるために、変わった得点システムを導入している。
 具体的には、途中でゲームオーバーになったのちコンティニュープレイをすると、その階数に応じてボーナスポイントが入るというもの。つまり、1コインクリアよりもコンティニューをしてクリアした方が高い得点が入るという、いわゆるハイスコアラーにとっては至極稼ぎがいのないゲームというわけだ。
 また、このコンティニューにおけるボーナスの存在意義を聞かれると、「逆説的に、このゲームでは点数より大事なものがあるという主張」とも答えている。それはすなわち「ゲームをクリアすること」なのだろう。当時のアーケードゲームは、そのほとんどで特定の面が果てしなく繰り返され、バグなどでゲームがストップしないかぎり無限に遊ぶことも不可能ではなかった(遠藤雅伸の前作『ゼビウス』もその例に漏れなかった)。60階をクリアするとエンディング画面が流れ、ゲームが強制的に終わるよう作られたのも、この『ドルアーガの塔』が嚆矢と言える。
 ゲームの目的が得点を競うことではなく、エンディングを見ることにある点は、言い換えれば「ゲームの主人公・ギルとして、塔を登りドルアーガを倒し、カイを救い出す」ことそのものがゲームのシステムであり面白さ、ということになる。プレイヤーはギルとなり、様々な困難を乗りこえて、エンディングを目指す…これもまた、「役割を演ずるゲーム」というRPGの定義からは些かも外れることがない、と言えよう。「ギルとなること」が、このゲームをクリアするための第一条件と言っても、過言ではないだろう。

 今でこそRPGというジャンルはコンピュータゲームの一大ジャンルとなり、今でも『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』と言った作品は、ビッグタイトルとして揺るぎない。
 しかし、世の中にそんなジャンルがあるとほとんど知られていない1984年に、まさしくRPG的なアプローチでアクションゲームを、しかもアーケードゲームとして発表したのは、異端中の異端だったと言えよう。
 それがどれほどの衝撃をもって迎えられたのか。それはこの作品でギルとなり、20年以上経った今でもバビロニアン・キャッスル・サーガの虜となり続けている人々が、雄弁に語ってくれるだろう。

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【13】TODを褒めよう――アクションゲームとしての評価

 これまでの記事では、ゲームのストーリーや開発者・遠藤雅伸について触れてきた。反面、ゲームそのものについての説明は、どちらかというとないがしろになっていたかもしれない。
 もちろんテレビゲームである以上、肝心のゲーム自身に魅力がなければ、名作にはなり得ない。
 そこで今回は、『ドルアーガの塔』のゲームシステムについて触れてみる。

 このゲームのアクション面における特徴は、以下の3つが挙げられる。

●通常時は正面からの呪文を受ける(=無効化する)ことができるが、敵との接触がミスとなってしまう(一部例外あり)
●抜刀時は敵にダメージを与えることが可能になるが、正面からの呪文を受けられなくなる(ギルの左側からの呪文は受けることが可能)
●主人公(ギル)や敵にはHP(ヒットポイント)が設定されている

 上記二つは、「剣を抜くと正面で呪文が受けられず、剣を納めると敵の体当たりに耐えられない」という、一長一短の相反する状態を生み出してしまう。この双方の状態におけるメリットとデメリットは、じつは遠藤雅伸が意図的に入れたもの。「二律背反」による制限が、このゲームにおける一種のもどかしさ、メリハリにつながっているわけだ。
 HP(ヒットポイント)については、ギルにも敵にも設定されているが、それらは目には見えない。なぜ目に見えるよう表示されないのかというと、当時まだHPという概念、ひいてはRPGというゲームの概念が、日本国内においてはほとんど知られていなかったため。いきなりHPという数値を出してもユーザーが混乱するから、というのが遠藤本人の弁だ。たしかに当時の技術力から考えると、わかりやすい表現で各キャラクターのHPを明示させることは、不可能に近いだろう(ちなみに“耐久力のある敵”という概念自体は、同じナムコが1981年に発売した『ギャラガ』などですでに確立している)。よって、プレイヤーは何度もプレイを重ね、その経験をもって危険な水準を推し量ってきた。これが逆に、ゲームにおけるスリルにつながっているのは、ある意味偶然の産物かもしれない。
 また、そのHPというパラメータが、「剣で相手を斬りつけてダメージを与える」のではなく、「剣を構えて交錯することでダメージを与える」という、独特なアクションの源となっている点も見逃せないところだ。安全地帯から一方的に攻撃するのではなく、その身を危険にさらし、自身のHPと引き替えに相手のHPを減らすというアクションは、目に見えないHPとあわせて戦いを非常にスリリングなものにした。

 こうした要素の組みあわせが、『ドルアーガの塔』に唯一無二とも言うべき独自のアクションを成立させていると言えよう。
 例えばマジシャン相手の時は、先に呪文を受けてから剣を抜いて倒す。ゴースト系が相手の時は、敵が往復する通路まで追いこみ、その横から半身だけ乗り出して、敵が勝手に斬られるに任せる。スペルを吐く敵とナイトが混在するフロアでは、ナイトと交戦中にスペルを吐かれないよう、スペルを吐く敵を先に倒したりナイトと交戦する場所を吟味したりする…こうした対処法を身につけ、場面に応じて使いわけていくことが、このゲームにおける“戦略”となるわけだ。
 あるいはナイトとローパーがいる階。ローパーは剣を納めたまま通過すると、絶対に死ぬことはないがヒットポイントが最低の値まで減らされる。だが、その状態では以後ナイトとは一切戦うことが出来ない。リスクを承知でローパーに剣を突き立てるか、扉まで徹底的にナイトとの遭遇を避け、あえてローパーにその身をさらすか…こうした戦略と、そこに生まれる葛藤。これこそが、このゲームの醍醐味と言えるだろう。

 ほかにも、剣を抜いた状態ではギルの左側面で呪文を受けられる、という要素も特徴的で、ここにプレイヤーのテクニックが介在する余地が作られている。さらにはファイアー・エレメント(ドルイドの呪文が作り出す炎)にギリギリまで近づいて剣を振ると、エレメントを消すことができるなど、細かい部分にまでさりげなく気が配られているのだ。

 とはいえ、このゲームのアクションを構成する要素がこれだけなら、じつは『ドルアーガの塔』は名作とはなり得ない。
 なぜなら、このゲームにおいて先の面(=次のフロア)に進むための条件が、扉を開けて先に進むことだからだ。「敵を倒す」ことが確固たるクリアの目的ではない以上、イヤな敵は極力避けて、カギを取っては扉に向かうことを繰り返せば、とくに敵とも戦わずに先へ先へと進むことができる。一応、「迷路を探索する」という遊びの要素も備わってはいるものの、それだけでは凡百なゲームに終わってしまっていただろう。
 これらの要素をすべて活性化させたのが、「宝箱」の存在といえる。
 宝箱の中身は、カイを救出(=ゲームをクリア)する上では欠かすことができないものや、ゲームを進める上で有利になるもの(あるいは不利になるのを防ぐもの)が大半を占める。そうした宝箱は、余程のことがない限り出さざるを得ない。
 しかし、宝箱を出すには各階ごとに異なる条件を満たす必要がある。そのためには、野放図に敵を倒しまくったり、逆に逃げ回ってばかりいるのは禁物。時には敵を倒さずに我慢し、時には敵を利用し、そして時には少々のリスクを負う必要すらある。そうした各階ごとに異なる限定条件が、ゲームに独特の深みを与え、単なる迷路アクションゲームに留まらない妙趣を醸し出しているのだ。

 ストーリーやポスターなどから、自分(=ギル)の為すべきことは、「カイの救出」と理解できる。
 つまり、このゲームのプレイヤーはすべからく「カイの救出」を目指すことになり、そのためには「宝箱」を避けて通ることはできない(当時のゲームにおける価値基準だった「ハイスコア」に関しては、後日述べる)。よって「宝箱」を出すことを目指さないプレイは、ゲームクリアを目指さないプレイと同義である。
 …そんな部分にゲームのバランスと面白さを見いだしたのは、凄いと思う。良く言えば慧眼、悪く言えば危険きわまりない賭けだったろう。
 だが、結果的にこの「宝箱」の要素がなければ、すべては成り立たなかった。「宝箱」があったからこそ、『ドルアーガの塔』は名作アクションゲームたりえたのである。

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